2012年11月に、滋賀県知事である嘉田由紀子を中心として結成された党。
おもに民主党や社民党を離党した議員が加入し、反原発などを軸とし反原発の市民運動家兼自然エネルギー投資会社経営者である飯田哲也を代表代行としたことから、反原発運動に傾倒する有名人達が支持していた。
しかし小沢一郎がわずか結成半年も経っていない国民の生活が第一を解散して合流
することが明らかとなり、さらに民主党政権下で大きな批判を浴びた「子ども手当」と類似した政策を打ち出す等、早くも小沢や民主党の傀儡政党ではないかという批判もされていた。
(代表の嘉田由紀子自身が実姉である本庄市議員明堂純子から同様の指摘を受けている)
2012年のデビュー戦ともいえる衆議院選挙では元国民の生活が第一の党員であった小沢軍団がそのままメンバーになっているほか、反原発運動等に関わる市民運動家が公認候補となっていた。
しかし選挙超直前の結成だったため、中には資金が足りずギリギリまでtwitterでカンパを募る者があったり、小沢派と市民運動家系のメンバーの党内争いにより名簿提出が遅れるなどの騒動を引き起こしており、さらに「プレ選挙」と称したアンケート形式のPRサイトを立ち上げたものの、その投票システムがあまりにザルだったため2ちゃんねらーに遊ばれ、それに対し不本意な結果が出ると投票結果をリセットするというあるまじき措置をとったためネット各所で炎上を引き起こしてしまった。
その他にも新党としては日本維新の会に出遅れたこと、上記の様に「小沢の傀儡」というマイナスイメージをぬぐい去れず、なんと小選挙区比例をあわせて8議席という大敗北を喫してしまい、現職の有力議員達すら失うという結果になり当選した僅かな議員は全員が小沢派であった。
この大敗北も重なってただでさえ小沢派と市民運動派の対立が酷かった党内状況はさらに混乱を極め結党1月で亀井静香が離党を申し出、嘉田代表が記者会見を行い分党が避けられない状況であることを認め、阿部知子副代表も「成田離婚」とコメントするなどの惨憺たる状況に陥った。
そして2012年12月27日、わずか結党1ヶ月にして党の代表は小沢派の森裕子に交代され党名も「生活の党」と変更されることになり、事実上小沢派により党が乗っ取られる形となり、「未来の党」の名前だけを嘉田、阿部、飯田が受け継ぎ、組織や資金は「生活の党」側が頂くという形となった。
現在の所属国会議員は現代表である阿部知子(元社民党)のみであるが、阿部がみどりの風の会派に合流したため政党としては実質開店休業状態となった。
元所属の議員は殆どが小沢に従い生活の党所属となった。
初代代表の嘉田および初代代表代行の飯田は「政策アドバイザー」とその後の公式サイトでは書かれていたものの、いつの間にか公式サイトのドメインも更新せずそれきりになってしまい、そのドメインは現在アフィリエイトサイトに取られている。明確な解散宣言はなかったものの、実質的には既に消滅したといえる。
党員のその後
亀井静香 みどりの風→無所属
嘉田由紀子 知事を2期満了で退任後引退、学者に戻る