日本における『自由党』は合併・党名変更などで何度か使われている党名となっている。
曖昧さ回避
※○代目は本記事の便宜上の表記
- 初代自由党
1881(明治14)年10月に板垣退助を総理(党首)に結党。フランス流の急進主義を掲げたが、1884(明治17)年10月に内部分裂を起こし解党した。
- 二代目自由党
同年7月に開催予定だった第1回衆議院議員選挙に備えて、大井憲太郎、中江兆民らが1月に結党。選挙後の9月15日に愛国公党、大同倶楽部、九州同志会と合同し、立憲自由党へ発展解消した。
上述のように4党が合同して発足。立憲改進党と共に二大政党の一翼を担った。1898(明治31)年、立憲改進党と合同し憲政党へ発展解消した。
- 三代目自由党
1903(明治36)年に桂太郎内閣への協力に反対した立憲政友会員によって発足。1905(明治38)年に甲辰倶楽部と帝国党と合同して、二代目大同倶楽部へ発展解消した。
1945(昭和20)年10月に鳩山一郎ら旧立憲政友会系の政治家たちにより発足。1948(昭和23)年に同志クラブ、民主クラブと合同し、民主自由党へ発展解消した。
上述のように3党が合同して発足した。1950(昭和25)年に民主党の一部と合同し、自由党へ発展解消した。
- 四代目自由党
上述のように2党が合同して発足。1955(昭和30)年に日本民主党と合同し、自由民主党へ発展解消した。
1953(昭和28)年3月に鳩山一郎が自由党を離党し発足。同年12月に大多数は自由党へ復党した。
- 二代目日本自由党
分党派自由党の内で自由党へ復党しなかった三木武吉、河野一郎らが発足。翌54年に自由党非主流派、改進党と合同し日本民主党へ発展解消した。
- 五代目自由党
1994(平成6)年4月に柿澤弘治らが自由民主党を離党し発足。12月に新進党へ合同し解消した。
1998(平成10)年に小沢一郎らが新進党を離党し発足。2003(平成15)年に民主党へ吸収合併された。
2012(平成24)年に生活の党と山本太郎となかまたちが改称。2019(平成31)年に大多数は国民民主党へ吸収合併、一部はれいわ新選組を発足した。