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概要

憲政党を前身として1900年に結党された。
憲政党は改進党→進歩党系の憲政本党が離脱して自由党系が残った状態となっており、党首の板垣退助が政界に興味を失っている状態であった。
伊藤博文が自らの与党として結党した経緯があり、伊藤内閣以降、軍出身の無所属内閣と交互に政権を担当する。
伊藤博文のほか、原敬西園寺公望などの大物政治家が参加した。
超然内閣が打倒されると、憲政会(憲政本党の後身)を首班与党とする内閣に連立与党として参加、のちに離脱。
原敬死後、高橋是清が後を継ぐが清浦奎吾内閣への支持を巡って党が分裂し、親清浦派が政友本党として独立するが選挙で大敗して大半は政友会に戻り、残りは憲政会へ合流して立憲民政党となった。
また憲政本党の後身のうち犬養毅率いる革新倶楽部と政友会が合流した。
立憲民政党との二大政党時代となると、保守的な立場として対抗することとなった。
党首である犬養毅首相が暗殺された後は政党政治が瓦解。
中間内閣といえる斉藤内閣には参画するが岡田内閣からは離脱し(内閣に残留した高橋是清たちは党離脱)、選挙で党首鈴木喜三郎が落選するなど大敗。
以後は中島知久平(中島飛行機の社長)率いる中島派と久原房之助(日立製作所の社長)率いる久原派、鳩山一郎たちの中間派に分裂した。
軍に接近したのち、1940年には解党、大政翼賛会に合流したが翼賛選挙では鳩山一郎、河野一郎など大政翼賛会非推薦で当選した議員も存在した。
第二次世界大戦敗戦に伴う大政翼賛会解散後、鳩山一郎、河野一郎を始め生き残った議員たちは日本自由党民主自由党を結成していき、後には自由民主党の源流の一つとなった。国会初期の立憲自由党から憲政党、そして平成時代の今に至るまで、日本の政党の大半の時代を第一党として歩んできた係累に属すると言える。

関連項目

前身政党

自由党
立憲自由党
憲政党

合流政党

革新倶楽部
政友本党

後身政党

日本自由党

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