立憲民政党
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りっけんみんせいとう
昭和初期に結党された政党。
戦前日本に於ける二大政党の一つ、戦前の政党政治で大きな役割を果たした。
大隈重信率いる改進党→進歩党→憲政党→憲政本党の流れをくむ憲政会と政友会の反高橋是清派が結党した政友本党が合流して結党された。立憲政友会との二大政党制を構築し、民権的な立場として対峙した。
初めて政権を獲得した浜口雄幸内閣では1930年の選挙で大勝した。その後、軍縮を掲げ、ロンドン海軍軍縮条約を締結する。しかし、軍縮に反発した人物から狙撃され負傷したため、若槻禮次郎内閣に交代することとなった。若槻内閣は閣内分裂のため、辞職し党は下野。直後の選挙では大敗した。
以後は反政友会の野党として対峙し続けたが斉藤内閣・岡田内閣には入閣。岡田内閣での選挙で勝利し、さらに林内閣での選挙でも勝利し第1党の地位を守った。
極右勢力が独立し東方会を結党するなどの変化を経つつ、1940年に解党、大政翼賛会に合流するが斎藤隆夫など大政翼賛会非推薦で翼賛選挙に当選した議員も存在した。
第二次世界大戦後元所属議員の多くは日本進歩党/日本協同党→日本民主党を結党、諸々ありながらも自由党と合流し自由民主党を結党する(後の中曽根派・福田派・三木派など)。
なお、2017年に民進党から分離して結党、2020年に国民民主党と合流して同名で結党した立憲民主党とはほぼ無関係である。こちらはどちらかと言えば社会大衆党の系譜に近い。
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