概要
1936年5月25日に中野正剛によって創立されたファシズム政党。
ただし、1933年から研究組織として既に活動はしていた。
1940年に東亜建設国民連盟に参加して新体制運動を推進し、合流。
臨時全国大会で正式に解党と思想団体の改組が決定され、思想団体・振東社として再結成した。
しかし、近衛文麿が大政翼賛会を「政事上の結社ではない」と述べたことに不満を抱いた中野はそれまで就いていた大政翼賛会常任総務を辞任して脱退。
政事結社としての東方会は再興となった。
1942年の第21回衆議院議員総選挙で翼賛政治体制協議会からの推薦を断り、独自候補を擁立。反政府的な選挙運動をしたが、議席は後退した。
中野正剛・中村又七郎・本領信治郎・三田村武夫は議会における実質的な発言権確保のために翼賛政治会に参加。
再び東方会は解消され、思想結社へ再改組を行った。
その後、翼賛政治会を脱退した中野は反東條の工作を画策し、1943年の一斉検挙を受けて中野が割腹自殺。1944年3月23日に東方会は解散した。