プロフィール
氏 名 | 玉 城 デ ニ ー(本名 康裕) |
---|---|
出身地 | 旧与那城村(現うるま市) |
現住所 | 沖縄市 |
生年月日 | 昭和34年(1959)10月 |
星座 | 天秤座 |
血液型 | O(Rh+) |
家 族 | 妻、母、二男二女、猫、家守、他 |
学 歴 | 与那城小?与勝第二中?前原高校(普通過程)?上智社会福祉専門学校(福祉主事任用過程)卒業 |
職 歴 | 中部地区老人福祉センター臨時職員勤務~内装業勤務のち自営~音楽関係企画事務所勤務~ラジオパーソナリティー/タレント~市議会議員~衆議院議員 |
趣 味 | 映画鑑賞、音楽、ドライブ、読書、他 |
好きな俳優 | ロビン・ウイリアムス、トム・ハンクス、ニコラス・ケイジ、他 |
好きな演奏家 | エリック・クラプトン、ニッケルバック、他 |
好きな食べ物 | 食は野菜系が中心、飲は麦酒と泡盛 |
好きな言葉 | 「夢は必ず叶う」 |
座右の銘 | 「天は正論に信念と勇気を与える」 |
著書・寄稿 |
|
作詞協力 | りんけんバンド、しゃかり、ティンクティンク、ジョニー宜野湾、他 |
主な出演番組 |
|
2002年9月〜2005年8月 | 沖縄市議会議員(一期) |
2005年9月~2018年9月 |
|
2018年9月~ |
|
所 属 |
|
概要
沖縄に駐留していた米兵の父と日本人の母の間に生まれたハーフ。
当初母親は彼を連れて一緒にアメリカへ渡るつもりで「デニス」と言う名前をつけていたが結局破局したため日本風の名前「康裕」に改名している。
この「デニス」と言う名前を愛称として崩した「デニー」がのちの芸名になっている。
母親が長年父親の詳細を語らないまま亡くなってしまったため、玉城本人も父親の顔や名前は知らず、身元も未だに知らないままだと言う(容貌から欧州系ではあると思われる)。
上智社会福祉専門学校卒業後様々な職業を経由し、地元ラジオ番組を中心として活動するローカルタレントとなる。
2002年に沖縄市会議員に当選し政治家デビュー。
平成21年(2009年)の衆議院選挙で、当時の民主党から初当選。
その後小沢軍団のメンバーとして活動、生活の党を経て自由党の議員となる。平成26年(2014年)の衆議院選挙でオール沖縄の候補として当選した人物でもある。その為、米軍基地問題に取り組みながらも反米保守路線を傾斜している。自由党では幹事長を歴任。
しかし就任早々COVID-19の流行や連続して襲来する台風など、前途多難な中で県政を担う羽目になっている。
主義、思想
権限を越えた理不尽な許可撤回や、「新たな基地」や「沖縄民族差別」等の事実に基づかないレッテル貼り、日米政府批判を繰り返し、真っ向対立を表明している。
エイの毒で死亡したと判明したジュゴンの死因を基地移設工事に結び付けたり
水質や経済への悪影響を証拠も無く触れ回るなど、その反基地思想は徹底している。
一方「沖縄県尖閣諸島」に機関砲を武装した中国公船が連日領海侵犯を繰り返しても何一つ不快感を示さず
それどころか「中国公船が(尖閣諸島の)周辺海域をパトロールしていることもあるので、(沖縄県漁民、及び海上保安庁)は故意に刺激するようなことは控えなければならない」と耳を疑う発言を公的に発言している。 (一週間後発言の撤回を表明)
この同盟国アメリカには大げさに抗議し、密漁や領海侵犯を繰り返し沖縄への実害を起こしている中国政府に対してはトーンダウンする態度から「反米反日親中」であるとの批判う受けても致し方が無い。
また、「サンゴを守れ」とする一方で、那覇空港のサンゴの埋め立てには一切関心を持たず
辺野古のサンゴの移設の許可を出さず、中国の密漁にロクに抗議声明を出さない事からも主語が「環境」で無い事も明らかである。
「核マル派」「日本共産党」「しばき隊」「関西生コン」といった公安監視対象や半グレ組織や「(北朝鮮系の)韓国の団体」や「中国の団体」といった国外組織と共に米軍基地への抗議活動に参加する等、主義以前にどうかと言う行動も目立つ。
希望の党への疑念
玉城氏は第48回衆議院選挙で希望の党について以下の様な疑念を出している。
10月1日現在、希望の党に結集する方向性について、自由党の今衆議院選挙・公認予定候補がどのように行動すべきか、まだ党の正式決定に至っていない。なので各々の予定候補者がどのような準備を進めているのかは党幹事長を仰せつかっている玉城にも詳細は届いていない。
玉城は自由党からの公認予定候補としての立候補がなかった場合は、「希望の党」への結集に参加せず(もちろん公認申請もせず)、今選挙は無所属で臨む姿勢を29日に開催した「激励の集い」で皆様に表明した。
沖縄タイムス、琉球新報共に反米報道を長年続けており
「負担軽減の為の基地移設」を「新基地建設」とねつ造し、その新聞のねつ造に乗っかる形で選挙を戦った。
結果平成29年(2017年)10月22日の選挙で沖縄3区で無所属でありながら圧倒的大差で当選した。
沖縄県知事選への出馬・当選
長らく自由党として活動してきたデニー氏だったが、2018年8月8日に死去した翁長雄志前知事に他一名と共に生前後継指名されていたと判明。他の一人が辞退したこともあり、国会議員の職を辞して沖縄知事選に立候補する。
2018年9月30日の沖縄県知事選挙において過去最高の39万6632票を得て当選した。