概要
1966年7月29日生まれ。大阪府大阪市出身。
市役所職員を退職後、次々と地方選に立候補するも4度の落選を経験。
しかし最終的には「西宮維新の会」を名乗って当選し、念願の議員となった。ちなみに「維新の会」の名で当選した議員は野々村氏だけだったりする。
不祥事
2014年6月に、2013年度の政務活動費として、「1年で195回の日帰り出張による約300万円の交通費」(兵庫県の城崎温泉に106回、佐用町に62回、東京に11回、福岡に16回の出張で、2日に1回のペースという計算)があったにもかかわらず、義務付けられていた領収書の添付が無かったことが問題視され、そもそもその出張自体がカラ出張だったのではないかとの疑惑が浮上。
記者会見
- 「記者の皆様のお名刺をそれぞれいただけますでしょうか」→「後でも構いませんか?」
- 「今いただけますでしょうか」→「それがないと始まりませんか?」
- 「いただけますか」
- 「では野々村先生に政治の方針についてお伺いいたします」
- 「この度は経理について皆様に迷惑をかけましたことをお詫びいたします」
不明瞭部分に関する質問
- 「出張で誰と会っていたのか」→「相手との約束で話せない」
- 「支出が全てグリーン車の料金ですが……」→「到着してすぐに元気いっぱい活動できるようにグリーン車に乗った」
- 「切符の領収書は券売機で発行できるのですが……」→「今初めて聞いて驚いている」
- 「どのようなルートで城崎温泉に行ったのか」→「鉄道には興味も無く無頓着なので記憶にない」
- 「106回も行ったのに本当にルートを覚えてないのか」→「電車に乗るために政務調査を行っていたわけではないので記憶にない」
号泣会見へ
要領を得ないまま2時間ほど進行した際、記者に色々と追及されていくと、
- 「議員という県民の皆様から選出された代表という大きな、カテゴリーの中では、今ご指摘されている政務調査費、政務活動費、支出報告書のご指摘というのはごくごく小さなものであると」
- 「高齢者問題はわが県のみならず西宮、日本中の問題じゃないですか」
- 「そういう問題を解決したいがために、俺はねえ」
続いて、
- 「誰がねえ、誰に投票しても、おんなじやおんなじや思って」
- 「佐藤記者、あなたには分からんでしょうね」
- 「(号泣)この世の中、世の中を・・・変えたい」
- 「縁もゆかりもない西宮市民の皆様に選出されて、やっと議員になったんですわ」
彼の呼称でもある「号泣会見」は、2014年の新語・流行語大賞にノミネートされた。
その後
会見後も野々村氏に対して出張についての聞き取り調査が行われたが、野々村氏はあくまで「出張は事実であり、政務活動費は全額返納する」という主張を変えず、出張先での詳細について聞かれると、
- 「(出張先の面会相手から)今回のことがあり絶交するとの連絡が来た。絶交された上に秘密にするという約束まで破るわけにはいかない」
そして7月11日に一連の問題の責任を取る形で議員辞職した。その直前に彼は
- 「心身ともに疲れ果て、自殺に追い込まれるのではないかと不安で一杯」
- 「取材で押しかけられたら、自分の性格なら(記者に)反撃してしまう。そうなると犯罪者になってしまうのでマスコミとの接触を絶っている」
そして同日、兵庫県議会より虚偽公文書作成・同行使容疑で兵庫県警に刑事告発された。
ブログにお詫びという名目で文章を公開した。マスコミへの取材自粛の要求、前述のサンテレビの記者の実名の暴露(後に名前を間違えていたことが判明、現在は削除されている)、自身の当選した経緯について「虎の威を借りた(当時の「西宮維新の会」という会派名について)のは事実だが、自民党現職2名と民主党新人1名を押さえて当選した」、「(取材を)厳粛願いませんでしょうか!」という釈明(現在は削除)を述べた。
また、彼に対する今回の疑惑がきっかけで、他の兵庫県議会議員にも虚偽公文書作成・同行使の疑いがかかり、市民団体もそれらの議員が政務活動費を着服している可能性があると見て、彼らにも刑事告発をする方針を取った。
会見での騒動から数か月経って、警察による連日の取り調べの結果、ようやく野々村元県議本人も、政務活動費の名目上の目的が全て嘘であったことを認め、不当に着服した政務活動費の用途を今まで5回出馬して失った選挙活動費の回収、生活費、および自身の国民年金保険料に回していたことが判明した。容疑については、
- 「手元にお金が無いと不安だった、政務活動費を返したくない気持ちを抑えられなかった」
そして遂に、翌年2015年1月に詐欺罪、領収証を修正テープで改ざんしたり切り貼りした虚偽有印公文書作成・公使罪で書類送検されたことがニュースで正式に報じられた。
逮捕に至らなかった理由については、以前の主張にもあった通り野々村元県議が不正に受け取っていた合計1800万円以上もの政務活動費とその利息分である90万円近くもの費用を全額返納していたからとのこと。
それからまた時間を置いて、あの号泣会見からちょうど1年を迎えて間もない8月頃、兵庫県警が野々村元県議を上述の容疑で改めて在宅起訴することが発表された。
同時期に、野々村氏は会見を報道した複数のテレビ局や取材に来た記者複数名を名誉毀損の罪で告訴した(いずれも不起訴)。
公判
初公判
それから間もなく、在宅起訴された件で遂に、野々村元県議の初公判が11月24日に神戸地裁で開かれることが発表された。そして同日、野々村氏は自身のブログを前回のお詫びの投稿から1年4か月ぶりに更新したが、内容は報道関係者への取材自粛の要請であり、
- 「取材には一切応じないので裁判への出廷を妨害しないように」
- 「もし取材等の行為をしてくるならカメラ撮影で証拠の映像を撮り、110番通報し訴える」
公判当日、野々村氏は同日の初公判を欠席するという行動に出た。このため同日開かれる予定だった公判は中止・延期になるという事態に。
欠席した理由については、
- 「自宅の前でマスコミと遭遇したため家に引き返し、精神状態が不安定になり出られなくなった」
公判のやり直し
そして再び、やり直しとなった野々村被告の初公判が、年明けとなる翌年の2016年1月26日に改めて開かれることが神戸地裁より発表された。また、前回のように再び裁判を欠席させないため、勾引状の発行、即ち地方裁判所が強制的に連れ出せるよう法的手続きを行うという対策が取られた。
そして同日、野々村被告は前述の通り強制出廷のため身柄を拘束され、遂に初公判の場へと現れた。
証言台に立つ直前、野々村被告は裁判官や検察官、傍聴席と四方向に深々と頭を下げて前回の初公判欠席の件を謝罪した。
その後開始された公判の冒頭でも、
- (名前を問う質問に)→「はい、野々村竜太郎でございます」
- (職業を問う質問に)→「はい、無職でございます」
政務活動費詐取に関する質問に対しては、
- 「虚偽の収支報告を記載して返還を免れようとしたことは、決してございません」
- 「反省すれば検察に理解してもらえると思ったからです」
- 「(白状した内容は)すべて嘘偽りで、非常に後悔しております」
- 「城崎への出張を繰り返していたとあるんですが」(検察官)→「行ったと言われれば行ったような気持ちになるし、行かなかったと言われれば行かなかった気持ちになります」
- 「では、行ってない?」(検察官)→「覚えておりません」
- 「『覚えておりません』を繰り返していますが、記憶が無いのか、言いたくないのか、どっちですか?」(裁判長)→「記憶がありません!」
なぜそこまで記憶が曖昧なのか聞かれると、
- 「(病院から)記憶障害の可能性があると診断されております」
- (いつ診断されたのか聞かれると)「平成27年12月9日です」
領収証を修正テープ等で改ざんした件について
- 「あれは警察官がやったと思っております」
この日野々村被告は最後まで起訴内容を否認し続けたまま初公判は終了。
その後野々村被告は3月25日まで神戸拘置所で勾留されることとなり、弁護側がそれを取り消すよう特別抗告を求めるも棄却されていた。
2回目の公判
そして2回目の公判日である2月22日、野々村被告は再び出廷。
この日も野々村被告は出張についての質問に対して「記憶がありません」と、前回と同じ主張を繰り返し、
- 「今日までに記憶を取り戻す努力はしなかったのか」(検察官)→「前回も申し上げましたが記憶障害なので、努力したとか努力しないとかそういう次元のことではございません」
今回の公判も前回とほぼ同じ流れで終了。前回告白した記憶障害の診断書は提出されていなかったとのこと。
再び野々村被告は勾留されたが、それから少しの間を置いて、被告が保釈保証金の800万円を納付したため保釈された。また保釈後は、自らのブログ内でニックネームを「野々村竜太郎(本人)@冤罪」とし、自身の好きなキャラクターなどのプロフィールを掲載した上で記事掲載を再開。
判決公判
7月6日の神戸地裁での判決公判にて、裁判長は
- 「金銭欲からの犯行で悪質、責任は重い」
- 「マスコミ報道などで社会的制裁は受けている」
また、期限となる7月20日までに被告、検察のいずれも控訴しなかったため判決が確定。
近年の活動
2023年3月5日からライブ配信系サイト「ふわっち」にて午後10時と11時に雑談配信を定期的に行なっている。
なお、現在は休止中。配信履歴も全て削除済み。
気になったら一度リンクを踏んでみてはいかがだろうか
https://whowatch.tv/profile/t:nonomuraryutaro