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概要

1937年〈昭和12年〉1月15日、神奈川県平塚市に生まれる。父は副総理格国務大臣、農林水産大臣等を務めた党人派の実力者だった元衆議院議員の河野一郎。出身大学は早稲田大学政治経済学部経済学科(同級生に福田康夫)。河野太郎現規制改革、防災担当大臣は長男。

衆議院議員(14期)、衆議院議長(第71・72代)、副総理(村山内閣・村山改造内閣)、外務大臣(第122・127・128・129・130代)、内閣官房長官(第55代)、科学技術庁長官(第39代)、自由民主党総裁(第16代)、新自由クラブ代表(第1・3代)を歴任。

宮澤喜一政権の官房長官時代に、河野談話を発表。

のちの検証により

・韓国人慰安婦16人の聞き取り調査で、発言内容を証明する裏付け調査はしていなかった

・客観的証拠資料で、旧日本軍や官憲が慰安婦として強制連行した資料は見つからなかった

・談話の文章内容で、日本政府と韓国政府が事前すり合わせで調査結果に修正を加えていた

ことが発覚。現在も否定及び撤回こそ行われていないもののもはや公的なものとは扱われていない。

撤回が行われていないのも日本側の韓国側への一方的配慮である。

河野談話とは歴史的事実ではなく、あくまで政治的な妥協(韓国側が根拠や証拠がなくとも強制を認めろと要請した)の産物でしかない。

もちろん閣議決定もなされておらず、韓国側は検証されると不都合でもあるのか「検証するぐらいなら取り消せ」とする論が主張されていた。そして検証結果はやはり韓国側には不都合な内容であった。

ちなみに、自民党総裁でありながら総理大臣になることができなかったという経歴を持つ最初の人物でもある(2人目は民主党が与党だったときの谷垣禎一総裁)。河野が総裁に就任した際、非自民連立政権の細川護熙が首相だった。翌年、政権は奪還したが日本社会党村山富市が首相に就任した。

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