概要
1993年に宮澤喜一政権の内閣官房長官だった河野洋平が、旧日本軍が従軍慰安婦問題に関与していたと発表した談話のこと。
正式名称は「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」。
村山談話とともに、戦争への反省を述べた談話として知られている。
作成の経緯についての疑問
一部では、この談話は元慰安婦の証言に基づいて作られたが、その証言は裏付け調査がなされなかった。また韓国側との水面下のすり合わせがあったから、この談話は虚偽である、という主張がある。
かつてこの疑惑から談話を見直そうとする動きがあったが、結局見直されることはなかった。
その時に出された「慰安婦問題を巡る日韓間のやり取り~河野談話作成からアジア女性基金まで~」(外務省、2014年6月20日)によると、談話作成の経緯(の一部)は以下の通り。
慰安婦問題についての最初の調査は、日本側が、関係する可能性のある各省庁において1991年12月~1992年6月にかけて行ったもので、その後、加藤官房長官が談話を発表した。
その後も、各省庁、米国国立公文書館の文書調査、軍関係者、慰安所経営者への聞き取りなど追加調査が行われた。
談話の原案はこうした日本側の調査に基づいてできたものである。
元慰安婦への聞き取り終了より前に、すでにこうした調査はほぼ終わっており、談話の原案もできていた。元慰安婦への聞き取りについては、事実の究明よりも、日本側の「真摯な姿勢」を示すことや、元慰安婦の気持ちを理解することに意図があったので、これについての裏付け調査などは行われなかった、とのこと。
なお談話の原案でも、軍の意向により慰安所が設営され、軍の意向を受けた業者が主として募集にあたり、慰安婦は本人の意思に反して集められた例が数多くあり、日本側はこうした苦痛を経験された方々一人一人に心からお詫び申し上げる、といった文章であった。(この資料から判明している限りによる再構築)
その後、韓国側との文言のすり合わせが行われたが、それはそれまでに行われた調査をふまえ、事実関係を歪めることのない範囲内で行われた(「意向」を「要望」にするなど)とのこと。
また、河野談話と同じ1993年8月4日に出された「いわゆる従軍慰安婦について」(外務省)でも、軍や政府が慰安所の設置、経営、慰安婦の募集、慰安婦の移送などに対して直接、間接に関与していたことが述べられている。
またそれによると、慰安所の存在していた地域として確認されたのは、日本、中国、フィリピン、インドネシア、マラヤ(当時)、タイ、ビルマ(当時)、ニューギニア(当時)、香港、マカオ、仏領インドシナ(当時)であり、
慰安婦の出身地として確認されたのは、日本、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、オランダであり、戦地に移送された慰安婦の出身地は、「日本を除けば朝鮮半島出身者が多い」とのこと。
また慰安婦問題の実態究明については、韓国から強い要請があったが、「他の関係諸国、地域からも、本問題について強い関心が表面されている」として、日韓間に限らない問題としている。
軍の資料について
ちなみに、かつての軍や政府の資料については、終戦時に軍や政府に都合の悪い資料を燃やしてしまった(2017年9月7日の朝日GLOBEや2015年8月11日の読売オンラインなどによる)ので、十分な資料が残っていないらしい。なので、元慰安婦の証言に裏がとれなくても虚偽とは限らない。