従軍慰安婦問題
じゅうぐんいあんふもんだい
慰安婦にはいくつかの分類が存在し、軍隊が経営に直接管理するもの、間接的に関与して、本土および植民地の娼館経営者が戦地に行く、あるいは現地の業者が営むものが存在しているといわれるが、従軍慰安婦は、軍に付き従い営業を行うものであると定義されるが、この形式において複数の問題、たとえば「業務中の慰安婦の人権侵害」、「慰安婦の強制連行」、「不十分な対価支払い」、「戦後の差別および貧困」などがあげられる。
支那事変の中ごろ、昭和12年から太平洋戦争にかけ、旧日本軍がこのシステムを運用したことに伴う各種問題が発生している。
システム
日本国の場合、基本的に「慰安所の経営者および従業員を無給の軍属として雇用する形をとり軍に帯同させている」例や「現地業者に委託、健康管理などの業務を軍が行い公認の慰安所とする事例」が多いとされ、これは非公式であるが、軍隊独自でそのような設備を所有していた可能性が存在する。
外地と内地
ここで問題となるのは外地から調達したものであるが、この業務には日本人の慰安婦も存在している。
強制連行
この施設で供される人物( 彼女たち )に関して「特に外地において従軍慰安婦になることを軍から強制されたのではないか」という疑惑が存在している。
- 複数の当事者および上級下級問わない軍人等の証言
例として、1944年3月に日本占領下のジャワ島で南方軍幹部候補生隊が収容所からオランダ人女性35人を連行し、2ヶ月間スマランの慰安所で売春を強制した事件が発生した。のちに抑留者が東京から視察に来た小田島董大佐に事件を通報した結果、同大佐の指示で慰安所は閉鎖され、オランダ人女性たちはコタパリ収容所にて家族と再会を果たした。
一方、否定の意見も存在する。
- 慰安婦の多数は日本人であったとされること
- 当時の朝鮮半島は不安定であり、あまり強引なことをすると反乱等が発生する
- 朝鮮総督府のTOPは軍人であり、あまり変なことをするとその人の顔に泥を塗ることになる
- 当時は人攫いにちかい人物も存在し、虚偽の内容や甘言や脅迫により募集を行う悪徳業者も存在した
- その中で生まれたのが「挺身隊」にまつわるデマである
- また、慰安婦自体が「特殊な技術」が必要な要員であるため、いわゆる「処女供出」だと役に立たない可能性が高い
- 慰安婦や軍人等の証言には「昔のことだから」では片付かないような「疑惑や矛盾」が存在するものも存在する
- 慰安婦同士や、関係者の証言が少ない
- つまり「慰安婦が他の慰安婦から聞いた伝聞」や、「強制連行された人物の家族の証言」が少ない
- また、「広義の強制連行」にシフトしている
- すなわち「日本軍の手先たる連中が甘言や脅迫により無理やり彼女たちを連行した」というもの
ただし、この否定も推測に基づくものであるため、正しいことはわからない、せめてもう少し早くこの問題が明るみに出ていれば、と思う。
待遇
彼女たちの待遇に関しては、複数の意見が存在しており、「人を人とも思わぬ扱い」という意見と「制限や業務はきつかったがひどく悪くはない」というものが存在し、特に中国などで従事したという証言等の場合、待遇が悪かったと言う証言が多いとされる。
賃金等
彼女たちに十分な対価が支払われていない、という可能性が存在しており、これは場所と時間により異なる場合があり、初期においては報酬が受け取れ、贅沢をしたものも存在した( たとえばビルマにいた文玉珠氏などは「かなりの贅沢をした」旨証言を行っている )、末期においては大日本帝国の敗戦等の影響により賃金を受け取れないどころか難民状態となった、あるいは受け取ったものの、当時は自由がなく、その後のインフレ等により使うことはできなかった、というものであり、以下の状況が推測される。
- 軍人から業者への支払いは行われたが、業者から慰安婦への支払いが滞った
- 支払いが強制的に貯金され、払い出しや使用ができなかった
- そもそも軍隊が直接慰安所を経営しているため支払い自体が存在しない
- この内容は考えにくいが、「軍が勝手に慰安所のようなものを作っていた」ならありうる
- 後に紙くずとなる軍票で受け取っている
- これも考えづらいが、チップで受け取っていたり業者がすり替えすれば可能
戦後の差別
朝鮮および台湾においては戦後日本国から分割されたこともあり、彼女たちに対する他人の目は厳しく、売国奴のような扱いや差別を受けたとされるが、この件に関しては「強制連行の被害者」なのになぜ?という疑問が存在する。
支援団体の問題
日本や韓国において戦中の従軍慰安婦問題を扱う市民団体は多く存在するが、中には当事者を置き去りにして金銭トラブルや政治的論争の態度が問題視される団体や運動家も少なくない。
代表例として韓国の慰安婦支援運動家で国会議員であった尹美香は夫が北朝鮮のスパイ容疑をかけられた経歴があり、本人も金銭トラブルで元慰安婦の女性達にも糾弾され所属していた「共に民主党」を追い出され、寄付金の横領疑惑で裁判にかけられている。
大韓民国において問題とされる慰安婦( ここではかつて主に戦地で将兵の性の相手をさせられた女性を意味する )と呼ばれる存在は主として3種類存在しており、「韓国軍直轄の慰安婦」および「他国の軍隊に提供するための慰安婦」、そして「政府が管理する公的管理された娼婦」であり、これらは一部異なる制度で運営されているため、項目を分けて記述する。詳細は韓国軍慰安婦に存在したが、執筆時点において白紙化されているため、一部引用修正する。
大韓民国における「慰安婦」
韓国軍および韓国政府による慰安婦制度
これが狭義による韓国軍慰安婦であり、大韓民国においては公娼制度は大日本帝国による影響が強いといわれ( ただし李氏朝鮮における妓生に関しては公的な娼婦ではないかという意見がある )、韓国併合の後は日本の制度に近いものとなったものの、これらの制度は第二次世界大戦後の1947年に廃止となったものの、軍隊における慰安婦の制度として特殊慰安隊が朝鮮戦争において復活、政府および韓国軍における管理売春が行われた。これらは戦後解体されたがある程度存在しており、ベトナム戦争では政府および軍が共同で同制度を行おうとしたものの、アメリカ合衆国のクレームにより実際には行われなかったものの、軍が関与する形でそのような組織が作られたといわれている。
システム
在韓米軍および外国の軍隊などに対する慰安所は当初日本軍が利用していた慰安所をそのまま用いるシステムを用いていた。おそらくこれは軍隊の基地が存在する地域に慰安施設を経営する業者を勧進するシステムであったと思われる。これらは公娼制度廃止により廃止されたが、実際に娼婦の性病検査は朝鮮戦争が始まるまでは行われていたとされ、外国の軍隊、特にアメリカ軍に関しては「現地人との自由恋愛」を建前としているため、現地の娼婦を利用する、あるいは強姦により性的要求を満たし自らは売春施設を作ることはなかった( このあたりがアメリカ合衆国、あるいはプロテスタントの欺瞞というものだろうか )が、韓国内において外国人を相手にする娼婦を斡旋する仕事をならず者が取り仕切り、莫大な資金が地下組織に流れており、これを見た朴正煕は民間における売春行為を1961年に法律で禁止し( 日本と同じように売春自体は禁止されているが罰則がなく、管理売春および未成年に対する売春行為は禁止であり罰則が存在する、参照韓国Web六法 )、特例により特に韓国内に駐留するアメリカ軍などを相手にする相手の売春行為に対しては黙認、後には公認するといった政策がとられ。彼女たちの人としての権利は抑制され、暴行なども多かったと思われ、近年においては在韓米軍あいての売春は多数を外国人が占めているといわれ、この中には特に違法である強要による売春があるといわれる。
- 朝鮮戦争における慰安婦
特殊慰安隊
朝鮮戦争中に韓国軍は慰安婦を募集し、韓国政府は韓国軍・アメリカ軍向けの慰安婦を「特殊慰安隊」と呼称し設立、1951年から1954年までこの名称で呼ばれ、慰安所を運営し、組織的体系的に慰安婦制度をつくったとされ、2002年2月24日付けの『朝日新聞』によると、慶南大学院の金貴玉教授は、朝鮮戦争時の韓国軍に慰安婦制度が存在した証拠となる韓国陸軍本部が1956年に編纂した公文書『後方戦史(人事編)』を発見し、その中に「固定式慰安所-特殊慰安隊」の記述があり、これを見る限りでは韓国軍が慰安所を直接経営していたらしく、その中で韓国軍慰安婦の類型には『軍人の拉致』、『強制結婚』『性的奴隷型』が存在し、いずれにしても昼は下女として働き、夜には売春を強要され、また慰安婦が軍部隊へ出張する事例もあった。また、正規の「慰安隊」とは別に部隊長裁量で慰安婦を抱えた部隊もあったといい、韓国軍の公式記録である『後方戦史( 人事編 )』には、慰安所の目的として、
>「異性に対するあこがれから引き起こされる生理作用による性格の変化等により、抑うつ症及びその他支障を来す事を予防するため」
とあり、4ヵ所89人の慰安婦が1952年だけで20万4560回の慰安を行ったと記す特殊慰安隊実績統計表が付されていたとされ、「兵士の士気高揚および性犯罪予防」を目的としてこの制度は行われたものと思われ、政府が表立って慰安婦を募集、特殊慰安隊として政府自身軍が運用したとされ、韓国軍のみならず、アメリカ軍をはじめとする国連軍( 連合国、安全保障理事会決議により組織された軍隊であり、国連加盟国の軍人を提供してもらい国連が指揮する、国連が直接指揮を行わない多国籍軍とは異なる )なども利用したといわれる。また軍も同様の施設を組織的に運営しており実戦部隊のトップが独自の判断で慰安所を所有運用することがあったといわれる。
- 二つの戦争間
朝鮮戦争が休止すると、慰安所およびそれに属していた慰安婦、すなわち特殊慰安隊は解体されるはずであったが、実際には慰安隊であった人々がそのまま解放されることはなく、私娼の形で存続する形で存在していたといわれている。
- ベトナム戦争
トルコ風呂
ベトナム戦争においても軍および政府が主導する特殊慰安隊を設置しようとしたが、これは実施されなかったものの、TBSワシントン支局の山口敬之元支局長が、米国立公文書記録管理局のベトナム戦争に関する膨大な文書を1年かけて調査したところ、韓国軍は独自判断( おそらく「戦地等における強姦等が多発」したため )により、サイゴン( 現:ホーチミン )に『トルコ風呂( The Turkish Bath )』という慰安所と思われる施設を作って、ベトナム人女性に韓国兵相手の売春をさせている旨の記述が存在し、2015年3月の『週刊文春』にて発表しており、その際見つかった米軍からベトナム駐留韓国軍最高司令官蔡命新将軍に宛てた1969年頃の書簡は、韓国陸軍幹部らによる米紙幣や軍票の不正操作事件に関する報告であり、これには
>「トルコ風呂は、韓国軍による韓国兵専用の慰安所( =福祉センター Welfare Center )」
「売春婦は一晩をともにできる。料金4500ピアストル( 38ドル )。サウナとマッサージ室はあいびき部屋として利用できる」
という記述が存在し、ベトナム人ホステスが働いていたとされる。
- 韓国民間人の売春強要
『週刊新潮』で紹介された朝日新聞サイゴン支局の井川一久元支局長によれば、
「当時、軍と共にベトナムに入ったのが約1万5000人の民間の韓国人です。彼らが何をしたかというと軍が村を襲ったあと、命からがら逃げてきた少女らを捕まえて今度は売春婦にしたのです。今も覚えていますが、彼女たちは15分5ドルで兵士の相手をさせられていた。彼女たちの手元に残るのはそのうちせいぜい3ドルぐらい。」
と証言している。
- ライダイハン
これらの行為は、ベトナムで社会問題となったライダイハン( 韓国兵とベトナム人女性の混血児 )が生まれた原因のひとつとなったとの指摘も存在する( アメリカ軍が特殊慰安隊を阻止しなければベトナム人を使う必要はなかった可能性があるようにも思われ、変な配慮がベトナムにとってはさらに悪い結果になったのではないかと思われる )。
- ベトナム戦争後のベトナムの動き
戦争の終結後、ベトナムの人々はこの惨劇を忘れないためにソンミ博物館にアメリカ軍および韓国軍などの残虐な行為等を展示し、犠牲者たちの慰霊碑を作り、さらに2015年4月には、ベトナム戦争終結から40年にあたって、韓国軍による虐殺の生存者であるとされるグエン・タン・ラン氏( 63 )とグエン・ティ・タン氏( 54 )の2名が生き証人として初めて訪韓した際に、迷彩服を着こんだベトナム戦争の退役軍人団体「枯葉剤戦友会(大韓民国枯葉剤後遺症戦友会)」が、数十人で韓国・大邱の慶北大キャンパスに集い、「韓国軍による民間人への暴行・虐殺の被害を受けたとされるベトナム人の講演会」に向け怒声をあげていたとされる。
- 米軍慰安婦制度
『中央日報』2008年10月30日付によると、1960年代の韓国ではアメリカ軍相手の売春が国家を挙げて奨励され、国民総生産の25%を占めたといわれており、慰安婦たちは政府から「ドルを稼ぐ愛国者」と称賛されていたといい、『米軍慰安婦制度』が立ち上げられた理由は国民総生産25%という売春業の莫大な利益と、アメリカ軍のご機嫌を取って駐留を続けてもらうことであるといわれ、2014年6月25日に、60年代から1980年代にかけて在韓米軍基地近くの『基地村』で慰安婦として働かされたという122人の女性が、『米軍慰安婦』として韓国政府の厳しい管理下に置かれ、アメリカ軍兵士の売春を強制されたとして、韓国政府をあいてに1人あたり1000万ウォン( 約100万円 )の国家賠償を求める集団訴訟を起こし、2014年6月25日付けの『聯合ニュース』によれば、原告団の元慰安婦たちは記者会見を開き、
「韓国政府は『米軍慰安婦』制度を作り徹底的に管理した。人身売買などによって基地村に連れてこられた女性たちは様々な暴力によって強制的に米兵を相手に売春をさせられた。米軍慰安婦制度は国家暴力によって行われた女性の人権蹂躙政策である」
という声明を発表、さらに2013年11月の韓国国会において、野党議員が朴正煕大統領の決裁署名入りの文書を提示して、大統領が米軍慰安婦制度に直接関与していたと指摘され、それによれば基地村は62ヵ所あって慰安婦は9935人いたといい、また2014年7月5日付けの『ハンギョレ新聞』によれば、基地村で働いていた米軍慰安婦の多くが人身売買されてきた未成年者であり、韓国政府は基地村一帯を特別区域に指定してアメリカ軍人相手に限って売春を行えるように法整備まで行っており、慰安婦たちに性病知識を教えるために定期的に説明会が開かれ、アメリカ軍人だけでなく保健所の職員・警察署長・自治体の役人なども参加しており、性病にかかった慰安婦は収容所に閉じ込められて強制的に治療を受けさせられ、この治療によって多くの慰安婦が命を落としているが、法務部長官の「慰安婦の性病治療で医療事故が発生しても医者を免罪する」という内容の公文書が発見されており、これは女性の人権は完全に無視されてアメリカ兵の性的欲求を満たしドルを稼ぐことが最優先されており、一方90年代以降の米軍慰安婦は韓国人女性に代わり人身売買された外国人女性が増えてきており、2002年10月18日付けの『中央日報』によれば韓国に売られ性奴隷にされたと思しきロシア・フィリピン出身の女性は5000人以上に達しており、京畿道米軍基地村の外国人女性は1999年の38%から2002年には75%に激増している。
韓国政府による売春事業
先に記述したように1960年代より確実に外貨収入を得ること、地下組織に流れる資金を絶つこと、性病予防などのため、慰安行為が行われる地域を政府が決め、働く女性は自治体に登録し、政府管理に近い管理売春が行われた。これらの行為は国内において外貨を稼ぐために推奨( 一説によると国家的管理売春による収入は国民総生産の約1/4を占めていたともいわれる )され、在韓米軍などの軍事関係者のみならず、他の外国人にも開かれていたとおもわれ、1990年代まで日本でおこなれたキーセン旅行というのがそれであるといわれ、一方、1980年代以降、経済発展により韓国人の慰安婦のなり手が減少したため民間人の売春業者により外国人を加えたといわれるが、彼女たちの扱いが悪く他国から批判を受けたこともあり、国による管理は1996年に終了し、民営化したといわれ、これらの状況は2004年に管理売春が全面禁止されるまで続いたという。
大韓民国内の状況
韓国国内においてもこれらの状況下では多数の女性が強制により売春をさせられ、人権は無視され、病気により隔離されたり、客による暴行などにより死傷した事例( 尹今伊殺害事件 )が存在している。
外国人の利用
この任務に関しては、現地人、特に敵国の女性( 朝鮮戦争においては北朝鮮の女子、ベトナム戦争においてはベトナムの女子 )を用いることも行われたとされ、現在ではフィリピンやインドネシアなどの東南アジアの女性、近年ではロシアの女性が当てられていたとされ、これらの惨状( 特に軍隊付属の慰安婦は北派工作員などと同様政府より十分な報酬を受け取っていないようである )に関しては、その状態が韓国国内においては在韓米軍慰安婦や日本軍の慰安婦問題により上書きされる形ですでに忘れ去られており、また韓国政府も隠蔽を行う( 例えば「韓国国防部所属資料室の一部資料の閲覧制限」など )ため韓国の一般住民に知られることはなく、主として革新系メディア( ただし韓国の場合一部は北朝鮮とつながる可能性がある )でのみ報道され、逆に保守系報道機関である朝鮮日報などでは人の心を持った国なら、自国民を国営売春婦にするという発想はしない。などと記述( 朴正煕大統領かわいそう )している。
この問題に関しては報道に関する問題なども存在しており、わかりやすい問題では慰安婦記事取り消しである。これは朝日新聞が過去、従軍慰安婦に関して虚偽の証言や内容を真実として報道を行ったが、その後別の内容の誤報の重大性をもみ消すために虚偽であることが明らかだった該当記事をついでに取り消したことを疑われる件、ただし一部では陰謀論扱いされるものであり、一部メディアもそれに伴い過去の報道内容を取り消した事件であり、慰安婦関連に限ったことではないが、一部マスコミなどが政府を誹謗中傷するための偏向報道のひとつとして利用する場合が存在し、さらに、一部ネトウヨやサヨクなどに見られるが、虚偽、歪曲、あるいは確証のとれないされた内容などをインターネット上などに流布し、関係者に対し誹謗中傷を行い、被害者および関係者に迷惑をかける行為を行うことがある。