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概要

大阪府出身。大産大付校を経て1998年ドラフト3位で大阪近鉄バファローズに入団。


入団当初は二軍でも打率1割台と低調だったが、徐々に改善されて2003年に一軍デビュー。しかし、当時は水口栄二高須洋介阿部真宏らの壁が厚く一軍定着はならなかった。

2004年オフの球界再編に伴いオリックス・バファローズに移籍。その直後菊地原毅とのトレードで上村和裕とともに広島東洋カープへ移籍した。

移籍1年目の2005年にプロ初安打をマーク。96試合に出場してレギュラーを勝ち取った。しかし2006年は開幕スタメンこそ果たしたものの打撃不振や東出輝裕の復活、さらに梵英心の活躍なども相まって二軍暮らしが続いた。

2007年も同様の状態が続くが、8月15日読売ジャイアンツ戦で阿部慎之助を相手に隠し玉を成功させた(なお、この後球団は「野球の基本 ボールから目を離さない 山崎浩司」というTシャツを販売している)。

2008年シーズン途中に田中彰とのトレードでオリックスへ移籍。

2009年後藤光尊の故障、阿部真宏や一輝の不振から再び一軍に定着。さらに6月30日福岡ソフトバンクホークス戦では田上秀則を相手に隠し玉を成功。両リーグでの隠し球成功という珍しい記録を作った。一時は控えに回るも大引啓次が離脱した後はショートとして出場。この年自己最多の97試合に出場した。

2010年は開幕一軍入りを果たしたものの、打撃不振に陥った。2011年は出場機会こそ48試合にとどまったものの、得点圏打率.350をマークするなど存在感を見せたシーズンだった。

2012年T-岡田赤田将吾の離脱からプロ入り後初めて外野守備を経験。しかしこの年は打撃不振に陥り、7月に二軍降格となるとシーズン終了まで一軍に復帰することはなかった。


オフに原拓也との交換トレードで埼玉西武ライオンズへ移籍した。

2014年オフに自由契約となるも、東北楽天ゴールデンイーグルスと契約。翌年に引退した。

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