来歴
敦賀気比高校で3度甲子園に出場している。1999年にドラフト一位で広島東洋カープに入団。当初は遊撃手であったが、失策が非常に多かった。その後二塁手にコンバートされ、課題とされた守備にも安定感が出てきた。
2001年には二番打者として全試合に出場し、26盗塁、49犠打に、この年のリーグ最多となる5三塁打を放つなど活躍。以降ケガや自身の不振もあったが、俊足巧打と堅実さを武器にカープを代表する選手の1人となる。2007年からは梵英心とともに1番や2番を任せられることが多かった。
2012年は菊池涼介の台頭でレギュラーを外れる。翌2013年のキャンプでの試合中に左膝の靭帯断裂という大ケガを負っていまい、それ以降は一軍に呼ばれることはなかった。2015年限りで現役を引退し、同球団のコーチに就任。
その他
2005年7月17日にホームランを放った以降、約5年間ホームランが出なかった。その時に記録した連続無本塁打2395打席は赤星憲広に次ぐNPB2位の記録。
東出だと思ったら今岡誠だったというのはよくある事である。