概要
出身 | 大阪府大阪市城東区 |
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生年月日 | 1984年7月15日 |
身長・体重 | 174cm、71kg |
投球・打撃 | 右投左打 |
所属 | 中日ドラゴンズ⇒東京ヤクルトスワローズ |
守備位置 | 二塁手、遊撃手、三塁手 |
プロ入り | 2002年ドラフト1位 |
明徳義塾高から2002年ドラフト1位で中日ドラゴンズに指名され入団。主な同期入団選手は小林正人ら。高卒ルーキーながら2003年から一軍出場を果たし初安打も記録。
2007年は初本塁打を記録、また4月24日の広島東洋カープ戦では松本高明のタッチをかいくぐって盗塁を決める好プレーを見せた。
二軍では主力として活躍し続けるものの一軍ではアライバの牙城を崩せず、また岩﨑達郎らの台頭もあって出場機会が減少。
2008年にはウエスタン・リーグの試合中に堂上剛裕のチャンスでの凡退に対する対応で首脳陣と衝突。その後も確執が続き、オフに中日を戦力外になる。
2009年からは東京ヤクルトスワローズに移籍。移籍1年目は自身初の開幕一軍入りを果たし、内野のスーパーサブとして堅守でチームを支え、チーム史上初のクライマックスシリーズ進出に大きく貢献する。
2010年は二軍で首位打者のタイトルを獲得し、翌年以降の活躍に繋げる。
2011年は52試合に出場し、クライマックスシリーズでは川端慎吾・川島慶三・荒木貴裕らの離脱により全3試合に先発出場。お立ち台で神宮球場を沸かせた。
2012年はこれまでを大幅に上回る100試合に出場。打席数を前年の約3倍に伸ばし、3年ぶりの本塁打を放つなど満身創痍のチーム状況の中で大きく貢献した。
2014年から選手会長を務め、2015年に14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
2016年シーズンをもって現役引退。