概要
ポジションは外野手だが、プロ入り後数年間は内野手でプレーしたこともある。
智弁和歌山高から2010年ドラフトにて北海道日本ハムファイターズから2位指名され入団。同期には斎藤佑樹をはじめ、乾真大、榎下陽大、谷口雄也、齊藤勝がいる。
日本ハム時代
ルーキーイヤーの2011年は、一度1軍登録されるものの出場機会なしのままに2軍へ降格。2軍ではファーム日本選手権で優秀選手賞を受賞した。2012年は開幕1軍入りし、開幕戦(埼玉西武ライオンズ戦)にプロ初出場を果たすと、6月18日の横浜DeNAベイスターズ戦でプロ初安打。田中賢介の故障離脱後は二塁手として出場。2年目ながら71試合に出場し、2本塁打をマークした。
その後、俊足を活かす為に長打を狙うスタイルから確実に塁に出るスタイルに移行し、中島卓也と共に機動力重視のファイターズの足の中軸を担っていた。2016年10月の日本シリーズ第5戦(広島東洋カープ戦)では、日本シリーズでは史上二人目となるサヨナラ満塁ホームランをライトスタンドに叩きこみ、日本シリーズMVPにも輝いた。
毎年3割近くの打撃成績を残し、出塁率も3割5分以上の高い水準を維持していた彼であったが、2021年は打撃不振に陥った(それでも通算4度目の盗塁王タイトルを獲得)。同年シーズン終了後、高額年俸がネックとなって自由契約となり、石井一久監督の伝で東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。
楽天時代
2022年は3割後半打率をキープするなど、スタートダッシュの立役者となったが、5月からは41打席連続無安打記録を喫するなどチーム低迷の元凶にもなってしまった。
2023年は2軍で打率3割以上をキープしていたが、1軍での出番は限られ同年シーズン終了後戦力外通告を受け退団、東京ヤクルトスワローズへ移籍した。
エピソード
- 盗塁の達人として知られ、2013年から2022年まで連続二桁盗塁記録を継続、4回の盗塁王、シーズン40盗塁を4回。この年まで通算330盗塁で、盗塁成功率は.837と歴代1位をキープ(以前は.850を超えていた)していた。
- 端正な顔のイケメンであり、日本ハム時代はハルキストと呼ばれるほどの熱烈なファンが多かった。