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概要

1988年6月6日生まれ、群馬県出身。A型・投手。右投右打。

現役時代は北海道日本ハムファイターズでプレー。


学生時代

通称ハンカチ王子2006年夏の甲子園大会に早稲田実業高校のエースピッチャーとして出場した際、マウンドで汗をハンカチで拭く様子から呼ばれるようになった。


MAX147km/hの速球と優れたコントロール、それらを維持する無尽蔵のスタミナでトーナメント表を駆け上がり、田中将大を擁する駒大苫小牧(夏2連覇)と決勝で激突。

延長15回引き分けという壮絶な投げ合いを演ずるも決着はつかず、翌日の再試合9回裏でバッター田中を打ち取り優勝を決めた。


プロ入りも含めて進路が注目されていたが、早稲田大学に進学。大学2年生時に左の股関節を痛めてからは投球フォームの変更を余儀なくされ、これに加えてプロ入り後の故障の結果、球速や制球力の悪化に影響することになる。

大学4年時のドラフト会議では同級生の大石達也福井優也両投手とともに「早大三羽ガラス」として注目され、4球団の抽選の結果、北海道日本ハムファイターズが交渉権を獲得し入団。後日札幌ドーム新庄剛志以来となる単独入団会見が行われた。


プロ入り後

プロ初先発試合は2011年4月17日、対ロッテ戦で初勝利。オールスターの最後の一人を決めるプラスワン投票でパ・リーグ1位となり、1年目からオールスターに出場した。この年はシーズン途中に左脇腹を痛めたものの6勝を挙げる。


2012年、開幕投手に指名することを栗山監督が発表。賛否両論(というか否の方がはるかに多い)の中、9回4安打1失点の好投で完投勝利。チームとしても4年ぶりの開幕勝利となった。


しかし、その後は右肩の故障など怪我もあってイマイチ活躍できず。2017年からは背番号を1に変更したものの2018年2019年共に勝利試合はなく、2020年に至っては一軍出場なしという有様であった。

そして2021年、シーズン限りでの現役引退を表明。かつて甲子園を沸かせたスーパーヒーローとしてはあまりにあっけない幕切れであった。


引退後

早稲田大学の3年時(2010年)に両親が設立していた自身のマネジメント会社の商号を2021年12月1日付で「株式会社斎藤佑樹」へ変更するとともに、代表取締役の立場で「野球の未来づくり」に関する活動を開始。2022年からは、全国向けに放送されるテレビCMへ相次いで出演しているほか、北海道日本ハムファイターズ公式YouTubeチャンネルに登場するなど幅広く活動している。

また、学生野球資格回復研修制度を通じて、2022年2月2日付で日本学生野球協会から資格回復の適性を認定。この認定によって、同協会に加盟する高校・大学の硬式野球部で指導することや、現役の部員(選手)を直々に取材することが可能になった。現に、第94回選抜高等学校野球大会開幕直前の2022年3月17日からは、「バーチャル高校野球」(朝日新聞社と朝日放送テレビが共同で運営する高校野球関連のポータルサイト)のフィールドディレクターへ就任。男女を問わず硬式野球部のある日本全国の高校へ取材に赴くほか、高校球児の取り組み・指導者の考え・高校野球の現場が抱える課題などをテーマに、「バーチャル高校野球」向けの動画リポートや『朝日新聞』向けのコラムの執筆などを任されている。


評価

高校時代の輝かしい実績と、プロ入り後の凋落ぶりからしばしば嘲笑の対象にされており、引退の数年前から「これだけの低成績でなぜクビにならないのか」「球団と密約があったのではないか」と囁かれていた。

また、結果が伴わないにもかかわらず「大学野球はレベルが低い」「日本一の18番といえば斎藤」等のビッグマウスも反感を買っており、アンチからの総評は「マスコミにちやほやされて調子に乗った結果、慢心して失敗した」というものになる。


しかしながら、天狗になるだけの実績を重ねてきたのも事実であり、特に田中将大坂本勇人ら粒揃いの同世代を抑えて日本一を取った実力は紛れもない本物である。2006年夏の甲子園だけが注目されがちだが、同年秋の国体でも田中を抑えて優勝を決めており、甲子園での勝利は決してまぐれなどではなかった。

プロ入り後の低迷は、大学時代に負った股関節の故障が原因とされ、そんな状況でも30勝300奪三振を記録したり、プロ初年度で6勝を挙げられたことが、彼の非凡な能力の証左と言える。


かつて「野球に対する取り組み姿勢の悪さからダルビッシュと不仲となった」という趣旨の記事が書かれていたが、ダルビッシュ本人は後に「何でこんなこと言われてるのかがわからない」と自身のYouTubeチャンネルで否定している。


現役を引退したこともあり、今では彼へのバッシングはあまり聞かれなくなっている。

むしろ、現在は高校・大学時代での選手の酷使に対してファンが厳しい視線を向けるようになっており、加えて高校で過度な登板をさせられなかった佐々木朗希が、高卒後に即プロ入りした後に(数年の育成・調整期間を経てではあるが)しっかり結果を残していることもあって、斎藤に対しても「大学で酷使され、体を壊されたのが悪い」という同情論や、「高校時点で有望な選手は進学すべきでない」「もし高卒後に即プロ入りしていれば、佐々木朗希のような怪物級の投手になれていたかもしれない」など、高校卒業時点での選択を惜しむ声も上がっている。


エピソード

  • 登場曲は勇気100%。2011年のみチームメイトだった松坂健太ご推薦。
  • 意外と天然。iPhone振って飛距離出すゲームで本当にiPhoneを投げた(武田勝談)。
  • ドライビングテクニックはイマイチ。
  • 2018年4月4日の鎌ヶ谷での二軍練習にて二塁手の守備に就く斎藤が目撃され、「二刀流挑戦か?」と思われた…が、実はユニホームが届いていないため斎藤のものを借りていた杉谷拳士というオチだった。
  • 高校時代にU-18の野球日本代表に選出されて渡米した際、幼少期のラーズ・ヌートバー選手(現カージナルス)と交流している。この時、栗山英樹氏がキャスターとして代表チームの取材に帯同しており、当時のことを覚えていたことが、後にヌートバーが第5回WBC侍ジャパンに選出されるきっかけの1つとなった。

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