経歴
ポジションは投手、右投右打。
地元・福岡大附属大濠高校時代から九州屈指の右腕として注目されていた。早稲田大学へ進学すると同級生の斎藤佑樹・福井優也両投手の存在が刺激となり、リリーフ投手として活躍。斎藤・福井両投手と共に「早大三羽ガラス」と呼ばれた。2010年オフのドラフト会議にて広島東洋・横浜・阪神・東北楽天・オリックス・埼玉西武の6球団が1位指名し、抽選の結果埼玉西武ライオンズが交渉権を獲得しプロ入り。
大学時代はリリーフでの起用が中心だったが、当時の渡辺久信監督が「プロ入り後は先発で起用する」と明言。しかし1年目の4月に右肩を故障すると「痛すぎて全然投げられない」と語るほど制球に苦しめられる事に。大学時代に最速155キロを記録したものの、プロでは10キロ以上速度がダウンした。この年は1軍登板がなく、翌2012年からリリーフとして起用される事になる。
2013年にはクローザーで開幕を迎えたが、勝負所で炎上しなんJ界隈では「俺達」の「3代目総帥」として総帥の仲間入りへ。デニス・サファテに抑えの座を奪われ自身は敗戦処理に回った。
右肩痛は現役生活を通して度々再発し、一時期野手転向の打診はあったものの本人は固辞。2019年シーズン終了後戦力外通告を受け現役を引退した。9年間で132試合に登板し、通算5勝6敗8セーブ12ホールド、防御率3.64とドラフト1位指名に見合った活躍は達成出来なかった。
引退後も西武球団に残り、2020年は球団本部チーム統括部ファーム・育成グループにスタッフとして所属、2021年から西武2軍投手コーチを務めている。