経歴
1981年4月9日生まれ。アメリカ合衆国、ニューヨーク州・ニューヨーク市クイーンズ区出身。
1996年のMLBドラフトでテキサス・レンジャーズから15巡目で指名されるが入団を拒否。その後は大学に進学し、2001年のドラフトでミルウォーキー・ブルワーズから9巡目で指名され、後に契約を結ぶ。2006年にはメジャーリーガーとしてデビューを果たした。
その後は2007年にヒューストン・アストロズ、2008年にボルチモア・オリオールズに所属したが、2010年にオリオールズをFAとなり、NPB入りの打診が掛かった。
広島東洋時代
2011年に広島東洋カープと契約を結び入団。シーズンでは抑え投手として起用され、オールスターゲーム明けまでに22セーブを記録する活躍を残すが、9月に鼠径ヘルニアを発症し登録抹消。そのままシーズンを終えるが、57試合1勝3敗35セーブ、防御率1.34、WHIP0.92という好成績を残した。
2012年も抑えとして起用されるが、キャム・ミコライオの台頭もあってセットアッパーに転換。同年オフには保留選手枠から外れ、自由契約となった。
西武時代
2013年に埼玉西武ライオンズに移籍。開幕はセットアッパーを任され、9勝1敗10セーブの記録を残すが、ボロボロの投手陣の事情で抑えに回されたりセットアッパーをやらされたりと振り回されたことからか、シーズン終了後に残留の意思を示さず自由契約となった。
ソフトバンク時代
2014年からは福岡ソフトバンクホークスに入団。
シーズンでは64試合に登板し37セーブ、奪三振率12.64を記録し、不動の守護神として3度のリーグ優勝・日本一に貢献した。
2015年から3年連続で最優秀救援投手(最多セーブ)のタイトルを獲得。2017年には、外国人初の200セーブを達成したほか、これまでの日本記録だった46セーブを大きく上回るシーズン54セーブを樹立した。
同年の日本シリーズでも1勝2セーブと日本一に大きく貢献し、日本シリーズMVPを受賞した。
2018年は前シーズンのフル稼働が災いし、股関節を故障。投球出来ない程に深刻なダメージでリハビリにほぼ丸一年を有するという診断だった。2019年シーズンに入っても怪我は癒えず球速も130km/h台までに落ち込んでしまい、人工股関節置換手術にも踏み切るも状態は改善せず。2018年シーズンがNPB一軍最後の登板となり、2021年11月30日に自身のTwitterで現役引退を表明した。
NPBで積み上げた通算セーブ数は234。
抑えて試合終了時、マウンドを降りると自軍ベンチに指さしした後、手を組んだようなポーズをとってお辞儀をするパフォーマンスが見られた。これは当人がクリスチャンなのと、監督含めたチームメイトへの感謝の表現と思われる。
関連タグ
佐々木主浩:「ハマの大魔神」。日米通算381セーブ。クローザーで初の名球会入り。
高津臣吾:ヤクルト黄金期の守護神。日米中韓の4ヶ国でセーブを挙げる。