概要
ヤンキース時代は戦前を離脱した松井秀喜の穴を埋める活躍を見せた。
2007年に東京ヤクルトスワローズに入団。
四球を選ぶ粘り強さは「待ちガイル」を捩り「待ちガイエル」とまで呼ばれたほどである。また、後述する伝説も相まってネット上では「魔将ガイエル」とも呼ばれていた。
なお本人も認知していた模様。
2011年シーズン終了後、現役を引退。
2019年、古巣のヤクルト球団編成部との間でアドバイザー契約を締結している。
主にアメリカでのスカウト活動がメインとなる。
人物
MLB時代から話題になるほど練習好き。
死球を受けても怒りや挑発を行わず、淡々と一塁に向かう。
これは「死球も野球の一部である」「死球の出塁もヒットと同じ」「投手は打者を抑えようとし、投げ損なって死球になるだけだから(当てられたからといって)怒ってはいけない」という
ガイエル本人の野球観によるもの。
しかし一度だけ当時巨人に在籍していた金刃憲人に対しては詰め寄る場面もあった。
(この試合、巨人の投手陣はガイエルへの死球含め3回もの死球を出していたせいもある。)
性格も非常に人柄が良く、アレックス・ラミレスに倣い一発ギャグも披露していたり、
当時中日ドラゴンズの監督だった落合博満が審判の判定に抗議していた際は、ベンチにあった『Let’s省Time!』(※1)の看板を持ち出し、皮肉交じりに煽っていたりと何かとおちゃめな所がある。
魔将伝説
・来日1年目となる2007年8月1日の対阪神13回戦の5回表には、1イニング2死球のプロ野球最多タイ記録をマーク。衣笠祥雄以来31年ぶり2回目の記録である。
・2007年10月7日に神宮球場で行われた対広島戦(古田敦也の引退試合でもあった。)では、平凡なショートフライが風に煽られ遊撃手の梵英心が深追いし左翼手の井生崇光と激突し落球。
その間に驚異的な走りを見せつけ、34号ランニングホームランを達成してしまった。(記録は「左ゴ本」)
来日して以降、足の速さをアピールしていなかった為、フジテレビの中継カメラにもしっかり映されていた。
・2010年の第1号ホームランが、この年より導入された初のビデオ判定となり認められる。
・四死球が多すぎるあまり、打率は低いのに出塁率が高いという謎の現象が起こった。
・青木宣親曰く、「センター定位置から動いていないはずなのに、気が付くとライトを守るガイエルの方向に吸い寄せられていた」
・打球があまりにも高く上がりすぎたせいで、相手チームのファンはおろか、ヤクルトファンですらホームランになった事に気づかなかった。
・TVの企画でラミレスの付き添いとして出演。ラミレスが握力測定を行い75.2kgを記録した直後に78.5kgという記録を残し、主役を押し退けトップになる。
・始球式で死球を受ける。
・Q.ホントのところ空間歪ませちゃってます? A.「そう見える?それは偶然だよ」
関連タグ
(※1)NPBの地球温暖化防止活動の一環である試合時間短縮のスローガン。