概要
メジャーリーグでは6球団を渡り歩き、パイレーツ時代にオールスターを経験。
通算安打1000本、通算本塁打が100本を超えるスラッガーだった。
1988年途中にブリューワなどの助っ人外国人が怪我に見舞われ、日本ハムに途中入団。
極度のアッパースイングは「ゴルフスイング」と呼ばれ、このスイングから来日初打席で初本塁打を放った。
その後も好調を維持し、4番の座を奪い、.304、本塁打19本と大活躍を果たした。
1989年も開幕から主軸を打っていたものの、当時38歳と高齢で、最終的には肋骨を骨折した為にチームを退団。
引退後は、ロサンゼルス・ドジャースなどで打撃コーチをつとめた。
細かすぎて伝わらないモノマネ選手権にて
「とんねるずのみなさんのおかげでした」内のコーナー、「博士と助手~細かすぎて伝わらないモノマネ選手権~」にて、そうすけ(本名・旧芸名:杉浦双亮/元360°モンキーズ)がイースラーのモノマネの途中で落とされたことから、そこからそうすけが毎回イースラーのモノマネをするようになり、現在に至る。
ただし、そうすけが歌う応援テーマはランディ・バースのものである(ほかのプレーヤーでのモノマネでも同様)。