武田勝
たけだまさる
1978年7月10日生まれ、愛知県出身、血液型はB型。
左投左打。ポジションは投手。
立正大学を卒業後、シダックスに入社。その後2005年社会人ドラフト4巡目指名で北海道日本ハムファイターズに入団した。
球速はないが抜群の制球力を持つ技巧派投手。変則フォームから最速142km/hの直球と、スライダー、チェンジアップ、シュートをまったく同じ投球フォームで投げる。三振を奪っても四球を出しても本塁打を打たれても、さらには骨折してもポーカーフェイスを貫いている。
変則的なスリークォーターの投球フォームで打者を戸惑わせるが、これは何度か怪我をした事のある左肘が現在でも曲がりきらないために、左肘に負担を掛けないためのフォームとも言われている。本人は自らのピッチングをちょっと気持ち悪い投法と命名した。
2011年シーズン序盤、防御率1点台後半を維持しながらも援護に恵まれず、1950年の2リーグ分立以降では初となるパ・リーグ新記録「5試合連続完封負け」という珍記録を達成してしまった。
2016年9月23日に引退を発表。そのころチームが優勝争い真っ只中だったこともあってか、会見後にチームの円陣に加わり「俺のために優勝しろ 武田勝」と書いた紙を見せてチームを鼓舞した。ちなみにその紙は9月28日にリーグ優勝を決めるまで、全試合でベンチに掲げられていた。9月30日のレギュラーシーズン最終戦となる千葉ロッテマリーンズ戦に先発し、先頭バッターの清田育宏を3球三振に抑え、2番手の増井浩俊と交代した。この時、バックネット裏のスタンドにて宮西尚生や谷元圭介ら登録抹消となったメンバーが「11年間お疲れ様でした。みんなで勝さんの為に優勝してやったぞ!!」という手書きの紙を掲げてねぎらった(ちなみに書いたのは宮西)。試合後の引退セレモニーでは「俺のために日本一になれ!」と再びチームを鼓舞した。以後はバッティングピッチャーとしてチームを支え、CSと日本シリーズに同行。2016年10月29日、ファイターズが日本一となりマツダスタジアムで3回宙に舞い、引退の花道を飾った。
日本ハムに球団職員として籍を残しながら、独立リーグ「ベースボール・チャレンジリーグ」の球団の1つである石川ミリオンスターズの監督を2018年~2019年に務め、その後1軍投手コーチとして日本ハムの現場へ戻ってきた。
- 球界屈指の愛猫家である。飼い猫のみー太郎を溺愛しており、ウイニングボールは大体みー太郎に捧げている。
- 春季キャンプ中に怪我をした猫を発見し、自費で病院に連れて行き治療してあげた。
- 夫人の実家の子猫が亡くなった際にウイニングボールを捧げるために勝利投手になった。
- 07/06/16の練習場にてチョウチョを追いかける
- ドーム球場なのに何故か大嫌いなセミが右肩に止まり動揺するものの、「ミン!」と鳴き返し左手ではらいのける。直後にピッチャー返しを間一髪で避け「当たらずに済んだのはセミが助けてくれたんです」と発言。
- 鎌ヶ谷屋内練習場の片隅で息を引き取った小鳥を見つけ、寮の裏の土手に穴を掘り手を土で真っ黒にしながら小鳥を手厚く埋葬した。
- 名護キャンプで、グラウンドに迷い込んだカニを拾い上げ、外野フェンスから外へと逃がしてあげる
- 自他共に認める猫科の生き物。
- 計算されたボケトークを得意とする一方で、斜め上を行く伝説を生み出し続ける天然ファンタジスタである。
- 甘い物好きで、体脂肪率はチームナンバーワン。目下4連覇中。
- 水曜どうでしょうの大ファンで、自身の選手登場曲に「1/6の夢旅人2002」を使用している。また出演者などともかかわりがあり、藤村Dに言われ放題言われたり、ミスターに気に入られたりしている模様。
- 同い年の高橋信二とは「信ちゃん」「まー君」と呼び合う仲。
- 自分のガッツポーズをVTRで見て「(ガッツポーズをしている自分が)気持ち悪い」と感想を漏らす
- ヒロインでフェルナンド・セギノールにお姫様だっこされ、「抱かれたのは初めてなのでどうしたらいいかわからなかった」とコメント
- お立ち台で後輩の大野奨太に「33ですけどまだ若いんで先発したら完投するだけの体力をつけてください」と煽られると、次の先発試合で久しぶりの完投を果たし「一週間でやってみました!あとで大野に上から目線で言ってやります!」とコメント
- 「大事なのは自分のスタイルを維持すること。ほかの人は変化を求めるのでしょうけど、ボクは変化しないことを求めていく。」