概要
所属 | 北海道日本ハムファイターズ(2003~2014)⇒オリックス・バファローズ(2015~2018) |
---|---|
出身 | 東京都江東区 |
生年月日 | 1980年10月10日 |
身長・体重 | 177cm、88kg |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 2002年ドラフト5位 |
血液型はO型。
経歴
2002年のドラフト5巡目で当時の日本ハムファイターズに入団。
三塁、一塁での出場が多いが、たまにレフトを守ることもある。二軍時代は二塁も守っていた。
内野も外野もこなすユーティリティプレイヤー。トレードマークはダブダブユニフォームとギトギトヘルメット。トトロに似ている(本人いわく「ねこバスのほうが似てる」)。
日ハム時代に2軍でコンディションを調節していた時期から、パニック障害に見舞われ、打席に立つたびに吐き気や眩暈に襲われるような状態に陥ったが、当時の2軍コーチであった福良淳一ら首脳陣の支えやチームメイトらの励ましを受けつつ、徐々に病状を和らげることに成功する(ただし、病気そのものは完治しておらず、引退して指導者に転じてからも時々発作が出てくることをインタビューで明かしている)。
翌2007年から一軍に定着し、中盤から三塁のレギュラーを獲得する。以降、堅実な守備力と勝負強い打撃で、日本ハムの「チャンスを逃さず守り勝つ野球」を体現している。
打率はそこそこだが、チャンスに滅法強く、得点圏打率が異常に高い。そのため得点圏の鬼、打点マニア、ミスターチャンテとも称される。2010年は109打点叩き出し自身初の打点王に輝いた。本塁打は16本で、本塁打20本未満打点100以上はあのミスタータイガース藤村富美男以来なんと62年ぶり。2年連続2回目ゴールデングラブ賞受賞。
2014年オフにFAでオリックス・バファローズに移籍した。移籍1、2年目は故障もありそれぞれ56試合、50試合の出場に留まったが、3年目となる2017年には130試合に出場。規定打席に達し、打率10傑に名を連ねるほどの復活を果たす。
しかし2018年は、肘や膝などのケガもあり一軍出場機会は9月までで69試合と恵まれず、9月27日、今季限りの引退を表明した。
翌2019年には、同じ松坂世代である平石洋介が指揮を執る東北楽天ゴールデンイーグルスからのオファーを受けて楽天の一軍打撃コーチに就任、成績向上に貢献するも、契約満了に伴う平石の退任に伴い、平石をこれ以上続投させられなかった責任を取りたいという意向により辞任を表明した。
その後、オリックスからの勧誘を受けて、2020年シーズンよりオリックスの二軍打撃コーチに就任することが発表された。
エピソード
- マニー・ラミレスに心酔しており、ダブダブユニは彼の影響。
- 丸顔とダブダブユニのせいでメタボに見られるが、実は引き締まった体
- おしゃれさん。月のおしゃれ代はひみつ。おしゃれの秘訣は大人買い、らしい
- 私服姿ではサングラスの着用頻度が高い。単なるオシャレ目的ではなく、実は闘病時代に他人の目を見られなかった頃の名残である。
- 試合中、いつも飴を食べている。特にお気に入りなのはカンロの「もりもり山のくだものあめ」
- 2012年シーズン前に12キロ減量しスリムになってキャンプイン。