経歴
1984年のドラフトで阪急ブレーブスに6位指名され入団。ポジションは内野手。
背番号は後にイチロー(⇒鈴木一朗)が背負う51番で、1987年まで3年間着用していた。
1988年に背番号を1に変更。この年はベストナインに選ばれた。
チーム名がオリックス・ブレーブスに変わった1989年には、近鉄との開幕戦で本塁打を打ったが、これがオリックスとなって最初の本塁打だった。
ブルーサンダー打線の一角を担ったが、同年は西武・近鉄・オリックスの三つ巴の末に近鉄が優勝し、オリックスは勝率の差で惜しくも2位に終わった。
チーム名がオリックス・ブルーウェーブに変わった1991年からは内野陣のまとめ役となり、イチローが一軍に定着してからは、その前後を打つ二番打者として犠打やエンドランといったチームバッティングに徹し、1994年に2度目のベストナインに輝いた。
1995年と1996年は、チームが2年連続でリーグ優勝し、96年には日本一にも輝いた。しかし膝を故障し、自身も既に36歳になっていたこともあり、翌1997年は出場機会が大幅に減少、現役引退を決意した。
現役引退後もコーチとしてオリックスに残り、2000年に退任。2005年から2012年には北海道日本ハムファイターズのコーチ・二軍監督を歴任した。
2013年に古巣オリックス・バファローズのヘッドコーチとなったが、2015年途中に当時の一軍監督の森脇浩司が休養。残りのシーズンを一軍監督代行として指揮し2016年シーズンより正式に監督として指揮を執った(阪急ブレーブス出身の監督は、合併後では初)。2018年シーズンをもって退任し、球団のゼネラルマネージャーに。