概要
出身 | 愛媛県宇和島市 |
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生年月日 | 1979年2月9日 |
身長・体重 | 175cm、92kg |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1996年ドラフト2位 |
経歴 | ヤクルトスワローズ(1997-2006)→タンパベイ・デビルレイズ(2007-2009)→ピッツバーグ・パイレーツ(2010)→オークランド・アスレチックス(2010)→東北楽天ゴールデンイーグルス(2011-2012)→東京ヤクルトスワローズ(2013-2014)→福島ホープス(2015-2017) |
1996年ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。
実兄・岩村敬士も宇和島東高出身で日本体育大学中退、近鉄バファローズのプロテストを受けて弟と同じ年に7位指名で入団。しかし肘を故障して2年で引退、現在は水産会社の有限会社アクアプラスと飲食業の株式会社ビストロプラスを経営している。
一軍デビューは1998年。2000年にはサードのレギュラーを獲得、2001年には背番号「1」を池山隆寛から継承。以降2006年オフにメジャー移籍するまでスワローズを代表する選手としてチームを支えた。
2007年からはメジャーリーグでプレー。2007年から2009年まで在籍したタンパペイ・レイズではサード、後にセカンドにコンバートされながら若いチームの精神的支柱として活躍。チーム初のポストシーズン、ワールドシリーズ進出に貢献した。
2010年はピッツバーグ・パイレーツで開幕を迎えるも、打撃不振に陥り9月6日に解雇。後にオークランド・アスレチックスに入団するも目立った成績を残せず解雇された。
2011年からは東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。同じくメジャーリーガーだった松井稼頭央とともに主力として期待されるも、攻守ともに精彩を欠いた。セカンドには内村賢介が定着、それに押し出される形で高須洋介がサードに入ったたため出番を失う。
2012年も不振を極め、戦力外通告を受ける。オフに東京ヤクルトスワローズへの7年ぶりの復帰を果たした。しかしヤクルトでも戦力になれず、2015年オフに戦力外通告を受ける。
その後独立リーグ・ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の福島ホープスに球団代表及び選手兼任監督として就任した。2015年は前期は最下位に低迷したが、後期は地区優勝を果たした。2016年は選手としての出場は3試合にとどまり、4打数無安打3四球1打点の成績だったが、監督として前後期ともに2位ながら、年間勝率2位となった。
2017年、開幕直後の4月10日に記者会見を開き、今シーズン限りで現役を引退することを発表。2018年からは福島ホープスの専任監督として指揮を執っている。