経歴
ポジションは捕手、右投げ右打ち。
花園高校3年生時の1984年オフのドラフト会議にて、竹田光訓のはずれ1位で中日ドラゴンズに指名されてプロ入り。1987年に1軍デビューを果たすと星野仙一監督の元でレギュラーの座を掴み、中日ドラゴンズの正捕手として実績を残した。
2001年、横浜ベイスターズから谷繁元信がFA移籍。彼が正捕手となるのは確実であったため、谷繁が所属していた横浜へ金銭トレードで移籍した。2005年は発足元年の東北楽天ゴールデンイーグルスで無償トレードで呼ばれることになり、同年現役引退。
現役引退後の2006年からは湘南シーレックス(横浜2軍)コーチ(2008年に1軍コーチに昇格)、2009年から中日ドラゴンズコーチ、2013年から千葉ロッテマリーンズコーチ、それぞれバッテリーコーチを歴任。
2015年からは韓国KBO・起亜タイガースのコーチを務めた。2016年には登録名を「タケシ(타케시)」に変更、中村曰く「ハングルだと『中村』は四文字(나카무라)だが、『タケシ』なら三文字で、チームには三文字が多い事と『タケシ』と呼ばれる事が多いから。」とのこと。
2019年に中日の1軍バッテリーコーチに復帰。2021年に胃の手術の為一時離脱したが、後に胃癌だった事を公表。同年シーズンをもって退団し、現在は野球解説者を務めている。
背番号
背番号 | 使用年 | 所属チーム | 備考 |
---|---|---|---|
39 | 1985年〜2001年 | 中日ドラゴンズ | 選手 |
39 | 2002年〜2004年 | 横浜ベイスターズ | 選手 |
39 | 2005年 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 選手 |
86 | 2006年〜2007年 | 湘南シーレックス | バッテリーコーチ |
86 | 2008年 | 横浜ベイスターズ | 1軍バッテリーコーチ |
83 | 2009年 | 中日ドラゴンズ | 2軍バッテリーコーチ |
83 | 2010年〜2011年 | 中日ドラゴンズ | 1軍バッテリーコーチ |
80 | 2012年 | 中日ドラゴンズ | 1軍バッテリーコーチ |
82 | 2013年〜2014年 | 千葉ロッテマリーンズ | 1軍バッテリーコーチ |
82 | 2015年〜2017年 | 起亜タイガース | 1軍バッテリーコーチ |
82 | 2018年 | 起亜タイガース | 2軍バッテリーコーチ |
80 | 2019年〜2021年 | 中日ドラゴンズ | 1軍バッテリーコーチ |