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田尾安志

たおやすし

田尾安志は、1970年代後半から1990年代初頭にかけて活躍した元プロ野球選手(外野手)、野球解説者。 東北楽天ゴールデンイーグルス初代監督である。
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経歴

プロ入り前

1954年1月8日大阪府に生まれる。
泉尾(いずお)高校から同志社大学に進学し、大学時代は首位打者を獲得するなど、打撃センスに優れていた。
1975年ドラフト会議中日ドラゴンズから1位指名され入団。

中日時代

ルーキーイヤーの1976年には新人王を獲得。
1981年から1983年まで3年連続で外野手ベストナインに選ばれ、1982年から1984年まで3年連続で最多安打のタイトルを獲得(1994年より表彰)。その間の1982年には、チームはリーグ優勝しており、田尾はリードオフマンとして大きく貢献した。

しかし、1984年のオフに大石友好とのトレード西武ライオンズへ移籍。
チームの顔だった田尾の放出に、中日ファンがトレードを撤回せよという騒動まで起こる事態となった。

西武時代

西武に在籍したのは2年だけだったが、1985年1986年のどちらもリーグ優勝。さらに'86年は日本一にも輝いている。

阪神時代

1987年に少年時代からの憧れだった阪神タイガースへ移籍。勝負強さを買われて晩年は代打での出場が多かった。1991年限りで現役引退。通算安打数は1560本

初代楽天監督

現役引退後は野球解説者として活動していたが、2004年のプロ野球再編問題の末に新しく出来た球団東北楽天ゴールデンイーグルスの初代監督に就任した。

しかし、ロッテとの初戦こそ3-1と勝利したものの続く第2戦は0-26の惨敗。
その後も黒星を重ね、8月に早々と最下位が確定。最終的に38勝97敗1分で、5位の日本ハムから25ゲーム差、レギュラーシーズン1位のソフトバンクからは51.5ゲーム差も離された。
2年契約だったが、契約を1年残して解任させられた。

監督退任後

監督退任後は再び野球解説者として活動。
2013年に楽天がリーグ優勝や日本一に輝いた時には初代監督として楽天を称えた。

人物

少年時代のイチローは田尾のファンだった。
相手が上司だろうとハッキリ物を言う性格のために、トレードに出されてしまう。
妻の田尾宏子はMADAM REY(マダム・レイ)の名前で芸能活動をしている。
歯科医師の田尾耕太郎は長男。
田尾自身はギターを趣味としており、さだまさしとの交友が深い。また、次男と長女は音楽に携わっている。

早生まれではあるが、中畑清(田尾と2日違いの1954年1月6日生まれ)が会長を務めるプロ野球28会の会員である。

関連動画

中日時代の応援歌

ヒットを狙え 今だガッツを見せろ
一発頼むぞ 我らの安志
※原曲は「鉄腕アトム」。


田尾鮮やか 流し打ち
右に左に火を噴く 田尾のバット

関連タグ

中日ドラゴンズ 西武ライオンズ 阪神タイガース
東北楽天ゴールデンイーグルス

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