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概要編集

東京都出身。八千代松陰高から東洋大に進学。八千代松陰の先輩に多田野数人がおり、目標も多田野。

東洋大の先輩には高市俊永井怜らがいる。その大学時代は加藤幹典(元東京ヤクルト)、長谷部康平(東北楽天)とともに大学BIG3と称され、2007年大学生・社会人ドラフトではオリックス横浜福岡ソフトバンク阪神北海道日本ハム巨人の6球団から1位指名を受けた。抽選の結果福岡ソフトバンクに入団。


ルーキーイヤーの2008年3月23日の楽天戦でパ・リーグ初となるプロ初登板で無四球完封勝利という偉業を達成。4月5日千葉ロッテマリーンズ戦では球団新記録の16奪三振を記録する。しかし、後半は調子を落とし結局3勝どまり。

2009年は制球難に苦しみ1勝どまり。2010年はわずか4試合で防御率16.39と盛大に燃えてしまった。それでもファームでは好成績をマークし、オフにウィンターリーグで好成績を残す。

そして2011年はルーキーイヤー以来となる開幕一軍入りを果たす。序盤は中継ぎとして実績を積み、夏場からは先発として活躍。8月には完封勝利を含む4勝をマークし月間MVPを受賞。この年自己最多7勝を挙げた。

2012年は右肩痛で出遅れ、2勝どまりに終わる。その後もホークスの戦力の厚さから、なかなか一軍へは昇格出来ずにいた。


2015年オフに金銭トレードで中日ドラゴンズに移籍。しかし、一軍登板がないまま同年に戦力外通告を受けた。




人物編集

・最速151キロのストレートと鋭く曲がる縦スライダー、SFFが武器。他にスライダー、カーブ、ツーシーム、チェンジアップなど多彩な変化球を持っている本格派。

・奪三振率が高い代わりに与四球率も高く、精神的にも未熟なところが課題。

松田宣浩柳田悠岐とともにホークスのアホの子枠。川﨑宗則曰く「松田は天然系、大場は宇宙系」。さらにD.J.ホールトンからは「何処の星から来た?どこで地球の言葉を覚えたの?」と言われる。

・エピソードは枚挙にいとまがなく挙げる暇がないのでたかせん@wikiの大場の項目を参照されたし。

・お立ち台の掛け声は「1、2、3、オイサー!」。本当は「チェストー!」をやりたかったが川﨑に却下された。

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