プロフィール
所属 | 栃木ゴールデンブレーブス |
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出身地 | 鹿児島県 |
生年月日 | 1981年6月3日 |
身長 | 178cm |
体重 | 75kg |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 遊撃手、二塁手 |
日本にいた頃は盗塁王と最多安打を1回ずつ、ベストナインを2回、ゴールデングラブ賞を2回、セ・パ交流戦MVPを1回、月間MVPを1回受賞している。
pixivのタグとしては﨑の文字化けを防いだ「川崎宗則」タグと併用されている場合が多い。
人物・経歴
鹿児島県立鹿児島工業高等学校にいた頃は50m走5秒8の俊足で左打ち・安打数の多さから「薩摩のイチロー」、略してサツローと呼ばれていた・・・が、同高校が甲子園に出場していなかったため、全国的には無名の選手だった。2000年に福岡ダイエーホークス(2005年より福岡ソフトバンクホークス)に入団。ワールド・ベースボール・クラシックにも2回連続で出場している。
2012年にFA宣言。イチローのいるシアトル・マリナーズと以外とは契約しないと宣言し、マリナーズとマイナー契約で移籍した。そしてオープン戦で活躍し、開幕メジャーを勝ち取った。
なお、イチローはシーズン途中にトレードでニューヨーク・ヤンキースにトレードされ、川﨑もシーズンオフにトロント・ブルージェイズとマイナー契約。その後メジャーに昇格し、イチローとの対決を実現させた。
2016年、カブスとマイナー契約。
後にメジャー昇格し、シーズンは規定打数未到達なものの打率三割を残し、ポストシーズンはアクティヴロースター入りは無かったものの控えとして帯同。カブスの1世紀と8年ぶりのワールドシリーズ制覇を見届けた。
11月にはカブスをFAとなり、去就に注目された。古巣であるホークスも復帰の準備をしていたようだが、結局は残留。マイナー契約で再契約した。…が、スプリングトレーニング明けに再度解雇。その後は日本に帰国し、2017年4月に古巣ホークスへと復帰した。
アメリカ球界時代は現地での評価が高かったが、日本のメディアにおける注目度は低かった。
復帰後は試合出場数は少なくなったものの、精神的支柱としてチームに貢献。その御蔭もあってか、ホークスは2年ぶり8回目の日本一を掴むこととなった。が、本人は優勝パレードやファンフェスティバルにも現れず、果ては契約更改にすら現れず、音信不通となってしまっていた。ファンの間では、「メジャー帰りで燃え尽きてしまったのでは」「昨シーズンのアキレス腱の怪我が致命傷だったのでは」「生真面目すぎる性格が災いして、うつ病になってしまったのでは」「まさか藤井将雄のような事になっているのでは」などと心配されていた。
2018年3月26日、久々に報道陣の前に姿を表し、「昨シーズンから怪我に加えて自律神経の病気を患っておりモチベーションが保てず、悩んだ結果球団と協議し自由契約」という形でホークスを退団することを公表した。
2019年5月、CPBL(台湾)のプロ野球球団・味全ドラゴンズのリーグ復帰が決まり、それに合わせて7月からシーズン終了まで選手兼コーチとして同球団に在籍した。2020年からは独立リーグ・BCリーグの栃木ゴールデンブレーブスで現役続行。
イチロー大好きムネリン
一番の特徴は異常なまでのイチロー愛であろう。ホークス時代は背番号52番にこだわり(これはイチローの背番号が51番だったことから)、WBCの時にはイチローの隣のロッカーを強奪、ファンから「イチロー選手のいいところは?」と聞かれて「この世に生まれてきてくれたこと」と答えるなど、尋常ではないイチロー愛を見せる。
その上、青木宣親やダルビッシュ有とじゃれるなど、とにかく雄々しい話題ばかりなので腐女子どころかなんJ民までもが彼から目が離せない日々が続いている。2011年8月22日に一般女性との婚約を発表したが、前述を理由に偽装結婚疑惑が囁かれているというネタに持っていかれることも。
なお、一部ではイチローのストーカーとネタにされることもある。
メジャーきっての「芸人」!?
英語は得意ではないが、委細かまわず積極的に周囲とコミュニケーションを取っていく姿勢は高く評価されている。最初のヒーローインタビューでのコテコテなジャパニーズイングリッシュでの自己紹介や、2015年シーズンのブルージェイズがアメリカンリーグ優勝決定戦進出を決めた試合後のインタビューが有名。特に後者は、「MLBの歴史に残るインタビュー」とまで言われるほど(「シャンパンファイトの後だった(つまり酔っていた)」ことを後に本人が告白している)。