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西本聖

にしもとたかし

愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(投手)・野球解説者、プロ野球指導者。(画像はイメージ)
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概要編集

1956年6月27日生まれ。


1974年にドラフト外で長嶋茂雄が率いる巨人に入団。当初は投手ではなく内野手として考えていたという報道も見られる。


3年目の1977年には8勝を挙げて一軍に定着。

1979年、ライバルとなる江川卓が入団し、共にエースとして巨人の一時代を支えていくこととなる。西本はこの年初めて規定投球回に達し、防御率は平松政次に次ぐリーグ2位の2.76と好成績をあげ、先発に定着。


1980年から1985年まで6年連続2桁勝利を記録した。特に1981年には18勝を挙げた。


1988年12月5日に中尾孝義との交換トレードで加茂川重治と共に中日に移籍する。


移籍1年目の1989年に自己最多の20勝・勝率.769(こちらもキャリアハイ)で最多勝のタイトルを斎藤雅樹と共に獲得。翌90年も11勝を上げたが、1991年は椎間板ヘルニアのために低迷。手術を受け、1992年は1勝11敗の成績で戦力外通告を受けて自由契約となった。


1992年11月24日にオリックスに移籍した。翌93年に先発で5勝を挙げるも、契約交渉が決裂して1993年12月16日再び自由契約となり、わずか1シーズンで退団する。


1994年3月1日に入団テストを経て巨人に復帰したものの、当時投手コーチの堀内恒夫が復帰に猛反発した事が影響し、オープン戦でも1度しかチャンスを与えて貰えずペナントレースでは一軍登板は無く、同年10月13日に引退を表明した。

選手としての特徴編集

通算165勝はドラフト外入団投手としては最多記録である。


当時監督だった長嶋は西本のシュートを初めて見た時、「このシュートは天下一品のシュートだ。これだけで勝てる」と絶賛した。西本のシュートは球速より、変化と切れ味を重視しており、カミソリシュートと呼ばれた平松政次とは対照的である。


引退後編集

1995年 - 2002年および、2004年 - 2009年に、文化放送の野球解説者や日刊スポーツの野球評論家を歴任。フジテレビのプロ野球中継にも、スポット契約で出演していた。


ロッテ、オリックスなどの一軍投手兼バッテリーコーチなどを歴任した。

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