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仙台育英高校から東北福祉大学を経て、1997年ドラフト4位で中日ドラゴンズに入団。彼のあだ名であるシドニーは、ドラゴンズ時代にシドニーオリンピック野球日本代表に選出されたことから、当時の星野仙一監督につけられた。


2003年大阪近鉄バファローズへトレード。ついで2005年オリックス・バファローズに移籍。しばらくは打撃の非力さやライバルの多さが原因でなかなか出場機会が得られなかったが、2008年以降は日高剛に次ぐ2番手捕手の座をキープ。2011年には鼻骨を骨折しながらもマスクを被り続け、チームのAクラス争いに貢献した。その後は伊藤光らの台頭もあり、現役を引退し、バッテリーコーチに就任。




ポジションは捕手ではあるが、そのイメージとは離れたスマートな体形でおまけにイケメン。また、これも捕手には珍しく俊足が武器。打撃は非力だがたまに覚醒する。2011年ソフトバンク戦ではブライアン・ファルケンボーグからサヨナラ打を放った。因みにバファローズはこの試合から3試合連続でサヨナラ勝ちを収めている。

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