概要
身長182cm、体重85kg、左投げ左打ち。
日本人の父とフィリピン人の母との間に生まれ、小学校1年の時に両親の勧めで野球を始めた。
千葉英和高時代は、1年時の夏から外野手として出場。2年時の秋から本格的に投手へ転向。3年時の夏は、千葉大会5回戦で木更津総合高を相手に延長15回引き分けによる再試合の末に敗れたが、いずれの試合も小川一人で投げ切っている。
2009年、プロ野球ドラフト会議にて中日ドラゴンズから2位指名を受け入団。
一年目は一軍登板はなかったが翌年春季キャンプに参加。2011年10月20日に一軍初昇格、その日の対広島東洋カープ戦(マツダスタジアム)で一軍初登板、プロ初ホールド。2012年には、プロ入り初先発、同時に第3回WBCにフィリピン代表で出場している。
2015年以降は完全に中継ぎとしての起用となり、2016年は開幕を一軍で迎えて8月5日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)でプロ初勝利をようやく達成した。この年は自己最高の44試合に登板し、1勝1敗9ホールド、防御率2.27の記録を残す。
2018年は二軍公式戦では好調も、一軍の試合に出られず。同年2018年7月19日、埼玉西武ライオンズへ金銭トレードで移籍した。
西武移籍後は、8月の初登板から10試合連続無失点を記録しリーグ優勝にも貢献。
2019年は開幕一軍で4月25日には自身初となるセーブを挙げる。しかし左打者に痛打され6月に抹消されたが7月下旬に再昇格すると成績がよくなり、55試合の登板、防御率2.58を記録。2020年は左打者への四死球癖が直らず登板数を38試合に減らしたものの、防御率2.10を記録した。
2021年は前年の左肘の手術の影響で一軍登板は5試合にとどまり、シーズン終了後戦力構想外になり西武を退団。翌年海外に渡ってメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズと契約したが、外国人選手枠の関係で4月に退団・任意引退となった。