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川崎憲次郎

かわさきけんじろう

大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、野球指導者。

概要編集

1971年1月8日生まれ。妻は元女優の堀恵子。長女はモデルの川崎琴之


1988年度のドラフト会議にて読売ジャイアンツ(巨人)とヤクルトスワローズが1位指名で競合し、ヤクルトに入団。


1990年に12勝(13敗)を挙げ、先発ローテーションに定着する。

1991年、チーム2位の14勝を挙げチーム11年ぶりのAクラス入りに貢献した。


1992年はチームは14年ぶりのリーグ制覇をしたものの、自身は故障でシーズン一軍未登板に終わる。


1993年、先発ローテーションに復帰し見事二桁勝利を挙げカムバック賞を受賞、1993年の日本シリーズでは2勝を挙げシリーズMVPに選出された。

その後は故障によって成績が下降したが、1997年にシュートを覚えて復活。以降周囲から「シュート馬鹿」「シュートしかストライクが入らない」と評される程のシュート特化の投手として名を馳せた。


1998年に17勝で沢村賞と最多勝を獲得、シーズン奪三振が100未満での沢村賞は史上唯一。

2000年は一軍で20試合に登板して8勝10敗(防御率3.55)の成績。


同年FA宣言で中日ドラゴンズに移籍。

しかしケガの影響で1軍登板はほぼ無かった。


2003年にはオールスターゲーム(球宴)のファン投票で「川崎祭」と呼ばれるインターネット上の嫌がらせ騒動に巻き込まれた。(試合に出てない川崎をオールスターに出させようという動き。)


2004年1月3日、この年から中日の監督に就任した落合博満は川崎に電話し、4月2日の開幕投手を告げる、痛み止めの座薬・飲み薬を併用して1,274日ぶりの一軍マウンドに臨んだ。結果的にシーズン3回登板しただけに終わった。

同年チームの優勝が決まった翌日の10月2日に落合から戦力外通告を受けて現役引退を決意。


引退後は解説者や指導者として活躍した。


コーチ歴編集

千葉ロッテマリーンズ (2013 - 2014)

香川オリーブガイナーズ (2018)

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