経歴
ポジションは投手、右投げ右打ち。
野球は小学校4年から始めたが高校時代に甲子園出場はなく全国的に無名の隠し玉だった。2012年のプロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから7位指名を受け入団した。その際、プロ球団からの調査書は中日以外になく、担当スカウトのみが興味を示していた(その時の担当スカウトは2014年に急性白血病で57歳という若さで亡くなった)。
1年目・2013年は二軍で20試合43回を投げ、3勝2敗防御率3.98の成績。2年目・2014年に一軍入りし初登板、初先発するが成績が残せず。
2015年6月2日、ナゴヤドームで行われた埼玉西武ライオンズ戦に先発し、6回無失点と好投、先発登板5試合目で念願のプロ初勝利を挙げた。以後安定した成績で最終的には規定投球回にこそ達しなかったもののチームメートの大野雄大に続く二ケタ勝利(10勝4敗)を挙げた。しかし新人王は新人最多セーブ(37S)をマークしたDeNAの山﨑康晃が獲得した。
2016年は7勝8敗、防御率は4.06。2017年は7試合の登板で1勝4敗、防御率は5.55。
2018年には、右肩を痛めた影響で一軍公式戦での登板がなく、シーズン最終盤の10月1日に球団から戦力外通告を受けた。その後トライアウトを受けたが、12月2日付でNPBから自由契約選手として公示。同年12月6日に、独立リーグ・BCリーグの栃木ゴールデンブレーブスへ入団し2年間プレーした。
2020年シーズン終了後、「環境を変えたい」という理由で福島レッドホープスへ投手コーチ兼任で移籍。
投球
スピードはプロとしては決して速くはない最速143km/hのストレートと、プロに入ってから取得したチェンジアップ、緩いカーブ・スライダー・フォークを操り、打たせてとるスタイル。