概要
日本大学在学中の1991年にドラフト1位指名で中日ドラゴンズに入団。
主に先発・中継ぎで活躍し、1998年には「最優秀中継ぎ投手」のタイトルを獲得。翌99年にはリーグ優勝、以降も中継ぎ陣の中心選手としてチームに貢献。2006年に現役を引退した。
その後は野球解説者を務めていたが、2010年よりドラゴンズでかつてのチームメートだった宣銅烈が監督を務めるサムスン・ライオンズの投手コーチに就任。以後、途中で解説者復帰を挟みながら千葉ロッテマリーンズやサムスン・ライオンズで投手コーチ・二軍監督などを歴任した。
古巣・中日ドラゴンズへのコーチ就任は「立浪和義が一軍監督に就任するまで承諾しない」と決めており、2022年シーズンより満を持して古巣へ投手コーチ兼ヘッドコーチとして戻ってきた。
2024年、立浪監督辞任で和田一浩らと共にコーチ5人を辞任・退団の予定だったが、後任の井上一樹監督が落合を説得し二軍監督に就任した。事実上の続投と見ても良い。
人物
この人を語る上でとにかく有名なのは霊感の強さ。現役時代のエピソードでは
- 大豊泰昭に自分のバットを差し出し「このバットを使えば打てる」と予言。すると本当に大豊はホームランを放った。
- 1996年、山崎武司にも同様にバットを差し出すと山崎はホームラン王を獲得。
- 1999年にはTVでのインタビューで、優勝が決まる球場を聞かれ「外にブルペンのある球場で星野仙一監督の胴上げ姿が見える」と予言。するとブルペンが外にある神宮球場で本当に優勝が決まった。
更に引退後の解説でも
- 2009年6月30日の対阪神戦で満塁の場面で、藤井淳志が打席に立つと「藤井が颯爽とベースを回る姿が見える」と予言。すると当時満塁での成績が7打数1安打と良くない上に、ホームランバッターでもない藤井が自身初の満塁ホームランを放った。
その他
愛知県のTV局CBCのドラゴンズ情報番組『サンデードラゴンズ』において『落合英二のブルブルの輪』というコーナーを持っていた。これは元々、現役時代に岩瀬仁紀と担当していた『落合・岩瀬のブルブルブルペン』から始まった企画で、ドラゴンズ選手の思わぬ一面を見せるコーナーとして人気があった。