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概要編集

1985年7月21日生まれ。漢字表記は「陳偉殷」。

ポジションは投手、左投げ左打ち。


国立体育大学在学中の2003年末に、大豊泰昭から誘われる形でNPBの中日ドラゴンズに入団。

2005年にプロ初登板。その後ケガにより一時育成選手登録になるも、2008年に「陳偉殷」から「チェン・ウェイン」へ登録名を変更してからは登板数が増え、2009年シーズンにはセ・リーグの最優秀防御率を獲得した。その後、ドラゴンズの左のエースとして吉見一起らと共に投手王国を支え、2010年~2011年のリーグ連覇にも貢献。

2012年、かねてより本人の希望であったメジャーリーグに挑戦する為、ボルチモア・オリオールズと契約。2015年までの3年間で46勝を記録し、2016年にマイアミ・マーリンズへ移籍し2019年までに13勝を挙げた。


2020年、シアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶも6月中に自由契約となり、当時優勝争いをしていたNPBの千葉ロッテマリーンズへの入団が9月中に決まった。ぶっつけ本番で先発登板したが、当時のマリーンズは打率成績が宜しくなく、打線の援護に恵まれることなく1勝も記録できなかった。

シーズン終了後日本でのプレー継続を望んで阪神タイガースへ移籍。2021年は2試合に登板し久しぶりのNPB勝利を記録したが、左肩の怪我で戦線離脱。実戦復帰を果たしたものの、2022年は支配下登録枠の関係で6月にウェーバー公示がかけられて途中退団となった。


人物編集

  • ちなみに国際試合では、オリンピック台湾(チャイニーズタイペイ)代表として活躍している(2004年アテネ2008年北京)。
  • ドラゴンズ時代、同期入団で同い年の堂上剛裕中川祐貴と仲が良かった。寮暮らしの頃はよく部屋でゲームをしたりする程で、当時の寮長である堂上照(堂上剛裕・直倫の父)曰く「あんな凄い投球をするのに、中川達とゲームする時は普通の高卒選手達と一緒の顔をしている」とのこと。また、先発として共に戦った吉見一起とは兄弟のように仲が良く、チェンがドラゴンズからメジャー挑戦後も、オフに吉見とトレーニングを一緒にする程である。
  • pixiv関連では、東方妖々夢とかけたネタにされがち。

経歴編集

2004年~2011年 中日ドラゴンズ、背番号「21」

2012年~2015年 ボルチモア・オリオールズ、背番号「16」

2016年~2019年 マイアミ・マーリンズ、背番号「54」

2020年 千葉ロッテマリーンズ、背番号「58」

2021年~2022年 阪神タイガース、背番号「14」


関連タグ編集

郭源治 大豊泰昭 プロ野球選手

中日ドラゴンズ 千葉ロッテマリーンズ 阪神タイガース


陳偉殷(表記揺れ)

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