本名エクトル・R・ルナ( Hector R. Luna )。ドミニカ共和国出身、愛称ルナ。プロ野球選手(内野手)としてMLB、日本のプロ野球にて活躍した。
選手として
打撃に関しては自然体で構えるフォームから、相手の配球を読みボールをしっかり引き付けて広角に打ちわけるスタイルであるとされる。
また守備に関しては投手と捕手以外の全てのポジションをこなせるとされる。ただし日本では主として三塁手、または一塁手として出場。
また、走塁もよく盗塁も記録している。
所属等
アメリカ合衆国のMLB、マイナーリーグでキャリア開始。その後大リーグとマイナーリーグを行き来していた。
2013年、日本のプロ野球へ。2球団で活躍。
MLB
MLBにおいてクリーブランド・インディアンスに指名され、傘下球団にてキャリアを開始。2002年までその状況が続く。おそらく一塁手か外野手( データがないため不明 )
MLB独特の「第5条ドラフト」( マイナーリーグでの選手飼い殺しを防ぐためのシステム )にてタンパベイ・デビルレイズに移籍するも、結局使い切れず戦力外通告され返品されたりしている。
2003年終わりにはセントルイス・カージナルスに「第5条ドラフト」で移籍。この球団では枠の関係か二塁手に転向したりしている。
2006年途中に明らかに上位だがフリーエージェントを抱えたロニー・ベリアードとのトレードによりクリーブランド・インディアンスに復帰。ただしここでは他の選手の壁に悩み、2007年途中で戦力外通告される。
契約期間中にチームが支配権を放棄した際に行われるウェイバー公示にてトロント・ブルージェイズに移籍、しかしほとんど活躍することもなくマイナーリーグにいた。
2008年シーズン終了後、フリーエージェントでロサンゼルス・ドジャースにてマイナー契約、マイナーリーグでの活躍にとどまった。
2011年シーズン前にはボストン・レッドソックスとマイナー契約、やはりマイナーリーグでの活躍にとどまった。
2011年シーズン終了後、フィラデルフィア・フィリーズに移籍、2012年にはメジャー昇格するも、長く調子が続かなかったため、シーズン途中に戦力外通告かされた。
2012年のシーズン途中、ピッツバーグ・パイレーツに移籍するもFAになる。
日本球界
2013年シーズン、この「微妙な成績」の選手に目を付けた日本のプロ野球の球団が存在した。中日ドラゴンズである。
元メジャーリーガーであったにもかかわらず、比較的安価に契約をさせたものの、入団すると一軍公式戦23試合連続安打を記録。
これに驚いた球団側は早急に2年4億円という契約を取り付けた( これはトニ・ブランコに契約でもめられ逃げられたことも影響している )。
ところが7月にナゴヤドームの人工芝の影響もありひざを故障、7月に登録抹消されそのままとなった。
2014年もやはり好調であったものの今度は肘を痛め一時期欠場したものの、後半戦には復帰。規定打席に到達。
2015年には不調であったものの、オールスターにも監督推薦選手として初出場。ただし数字自体は前年度等よりも落ちており、シーズン終了後には肉体面での不安もあり、中日は契約の保留権を所有していたものの行使しなかった。
そこでそれまでの実績を見て2015年シーズン終了後広島東洋カープとの1年契約、1億円と出来高、で合意し2016年に入団した。
ブラッド・エルドレッドと共にクリーンアップを任されその圧倒的存在感を見せ付けたものの、序盤で右太腿の裏を負傷したため場選手登録を抹消。その後も外国人3投手( クリス・ジョンソン、ジェイ・ジャクソン、ブレイディン・ヘーゲンズ )の同時登録を優先するチーム事情もあり、エルドレッドと交代する形で使用することになる。その後彼は交流戦優勝争いに大きな影響を与えることとなる。
彼の存在がなければ2016年のリーグ優勝はおろかクライマックスの攻略も難しかったことからか未だに彼の復帰を望むファンが今も絶たないという。
ただしチームのリーグ優勝により臨んだ横浜DeNAベイスターズとの2016年クライマックスシリーズ ファイナルステージでは「7番・三塁手」としてスタメンに起用されたものの、二塁へのゴロを放って一塁へ走ったところ、一塁ベース上で右足がホセ・ロペスと接触転倒したため、安部友裕との交代を余儀なくされた。その後の検査で右肩関節唇の損傷と右肩肩鎖関節の捻挫が判明し、全治まで3ヵ月を要することから、翌13日に出場選手登録を抹消。チームは後に日本シリーズへ進出したものの、シリーズ終了後、契約を更新しないことを発表されたためNPBから自由契約選手として公示。
結局2017年シーズン開始までには契約はまとまらなかった。
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