ワシントン・ナショナルズを経て、2009年に、タイロン・ウッズの穴埋め選手として中日ドラゴンズに入団。背番号は「42」。
日本での初打席(2009年4月3日)では、横浜ベイスターズ三浦大輔からバックスクリーンに飛び込むソロホームランを打っている。同年5月7日の対広島東洋カープ戦では前田健太からナゴヤドームの高さ50mの位置にある天井スピーカーに直撃する推定飛距離160mの大飛球を放ち、ナゴヤドーム初の認定本塁打を記録。この年、セパ全11球団から本塁打を放つなど、来日1年目からその怪物ぶりを発揮していた。
打撃はパワーを持ち味とし、ホームランは多いが三振も多い。芯でとらえた打球は他の追随を許さないほどの飛距離を誇る。また、右方向にも3割近い割合で打球を運んでいる。
敬虔なキリシタンで、ヒーローインタビューでは必ず「神様のおかげです」または「神に感謝します」と発言し、ヒットを打つと、塁上で天を仰ぐ姿も見られる。
2012年12月11日に横浜DeNAベイスターズへの移籍が発表された。背番号は中日時代と同じ「42」。2年総額5億円の契約で、移籍1年目の年俸は2億円となった。その後同じく中日の外国人選手であるエンジェルベルト・ソト、ホルヘ・ソーサも横浜に移籍し、3人の外国人選手が同一球団から同時に特定の球団に移籍するという史上初めての事態となった。ブランコの入団に伴い、本拠地横浜スタジアムには彼にちなんだ「ブランコ」が設置されるなど、新天地での期待も高かった。
横浜で迎えた2013年シーズン、枷が外れたようにホームランを量産。この調子が続くと王貞治、タフィー・ローズ、アレックス・カブレラが持つ1シーズン55本の最多本塁打の日本記録を抜く可能性も浮上していた。
シーズン終わってみれば本塁打王と日本記録更新こそウラディミール・バレンティンに譲ったが、打率・打点の二冠を獲得した上に本塁打も40本以上を記録するという驚異的な打撃成績を残し、その怪物ぶりをファンに見せつけた。
2014年12月6日、オリックス・バファローズに入団することが発表された。しかし故障もあり、期待された活躍は出来ず2016年シーズンオフに退団。