経歴
1984年7月2日生まれ。オランダ領、アンティル・キュラソー島(現・キュラソー)出身。
ポジションは外野手。
2000年にプロ入り。シアトル・マリナーズ、シンシナティ・レッズ時代を通してメジャーではパワーヒッターの片鱗を見せながらも確実性の無さからレギュラー定着とはならなかった。
ヤクルト時代
2011年に東京ヤクルトスワローズに入団。この年から導入された統一球により多くのバッターが苦しむ中、自慢のパワーで31本塁打を放ち本塁打王のタイトルを獲得。5月23日にはスワローズ第100代目の4番打者となった。
しかし6月以降は打率が急降下。結局1974年のクラレンス・ジョーンズ(元大阪近鉄バファローズ)、1987年のリック・ランセロッティ(元広島東洋カープ)に次ぐ史上3人目の打率最下位での本塁打王となった。
2012年はケガや不振で二軍落ちも経験する中31本塁打を放って、2リーグ制後では史上初となる規定打席未到達での本塁打王となった。
2013年はWBCオランダ代表として出場。第一ラウンドの日本戦ではアンドリュー・ジョーンズとともにタイムリーヒットを放つなどチームをけん引。決勝ラウンド進出に貢献した。
2013年9月11日、王貞治、アレックス・カブレラ、タフィ・ローズの3人が保持するシーズン55本塁打に史上最速ペースで到達。
そして2013年9月15日、対阪神タイガース戦第1打席においてシーズン56号到達。さらに2打席連続ホームランも決め、記録をさらに57号までに延ばした。最終的に本塁打60本でシーズンを終えた。
2014年1月12日、離婚調停中だった妻を監禁・暴行したとしてアメリカで逮捕された。地元警察の記録によると、1月12日に米マイアミ近郊に住む妻宅を訪問したが、入室を断られたためキッチンの窓から侵入。寝室の鍵をかけて妻を監禁したとのこと。目撃者が警察に通報し、逮捕につながった。1月16日に、5万ドルの保釈金と妻への接触制限を条件に保釈が認められた。同日にマイアミ市内のホテルで記者会見に臨んだバレンティンは、ヤクルトの編成部国際担当次長と共に深々と頭を下げ謝罪した。後に妻とは復縁している。
2015年は、左大腿の肉離れの影響でシーズンの大半を欠場。チームが優勝争いしている中で復帰し優勝の瞬間にも立ち会ったが、この年は1本塁打に留まった。
2016年は2014年以来の30本塁打を達成し、復活のシーズンとなった。シーズンオフには年俸現状維持で1年間の契約を新たに結び、ヤクルト残留が決まった。
2017年はWBCオランダ代表に選出され、2013年と同じく4番打者を務め大活躍。オランダのベスト4進出に大きく貢献し、自身も大会最優秀外野手に選出された。
レギュラーシーズンでもコンスタントに活躍し、32本塁打を記録した。
2018年は38本塁打・131打点の成績を残して打点王のタイトルを初めて獲得。
2019年は青木宣親・山田哲人とともに「平成最後」「令和最初」の三者連続本塁打を記録するなど33本塁打を記録したが、チームは投手陣の崩壊で最下位となった。
ソフトバンク時代
2019年シーズン終了後、長く在籍していたヤクルトを本人の意向で自由契約・退団。福岡ソフトバンクホークスへ入団し、翌2020年より“外国人枠”から外れた。
もともと内角のボールが打てなかった彼。セ・リーグの投手は内角に投げ切れなかったがパ・リーグの投手は徹底的に内角へ攻めていた(DH制があり打席で仕返しされないため威嚇球を投げやすいという事情があった)ため、パ・リーグの野球には全く対応出来なかった。成績不振により2021年10月にウェーバー公示がかけられ退団。
なお、このソフトバンク時代については「幸せはお金では買えない」発言などを始めとして無かったことにしたいように思わせるSNS上での発言が多く発見され、野球ファンからも「恩知らず」などの批判を受けた。
プレースタイル・人物
- パワーは人並み外れているが、確実性がなく変化球に弱いのがウィークポイント。特に2011年には打撃の不調を守備に引きずることがよくあった。
- 肩はかなり強くかつての同僚だったイチローと一二を争うレベルだったらしい。
- 愛称は、幼い頃から家族に呼ばれていた「ココ」。由来は顔がココナッツに似ているため。
- 元同僚のトニー・バーネットとともにTwitterにハマっており、2012年には試合中につぶやいて球団から厳重注意を受けたこともある。
- 好物はフライドチキン。どうやら説教を受けている最中にもフライドチキンを食べていたらしい。
- 応援歌は彼と同じ蘭領アンティル出身のヘンスリー・ミューレンの流用。
- NPB記録となるシーズン60本本塁打記録については、2022年に村上宗隆が日本人最多となるシーズン56本を記録した際に、ほとんど触れられなかった。これは外国人選手の記録という事情も然ることながら、バレンティンの素行面に問題があったのも大きい、というのが通説である。
- 2024年に引退を表明したヤクルトの青木宣親の引退セレモニーにビデオメッセージを寄せ、「21年間おつかれ様でした」と日本語で挨拶し、英語にて青木への賛辞と惜別の言葉を送り「アイシテルヨ!」と日本語で締めて会場を沸かせた。