プロフィール
出身 | 兵庫県伊丹市 |
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生年月日 | 1982年7月31日 |
身長・体重 | 180cm、90kg |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 2000年ドラフト5位 |
経歴 | 兵庫県立伊丹北高等学校→埼玉西武ライオンズ→オークランド・アスレチックス(マイナー)→オリックス・バファローズ→読売ジャイアンツ→中日ドラゴンズ |
人物
愛称は「ナカジ」。本名・旧登録名は「中島裕之」。
2000年ドラフト5位で西武ライオンズに入団。高校まで投手だったが、プロ入り後は遊撃手にコンバートした。
2003年に背番号3を引き継ぎ、2004年は松井稼頭央の穴を埋める活躍を見せ、以降レギュラーに定着。2009年シーズンにはシーズン最多安打173本を記録した。ショートでのゴールデングラブ賞を計3回、ベストナイン賞を計4回受賞している。また、2009年と2011年はシーズン144試合出場を果たすなど打線・守備の両面でチームを牽引した。
2011年オフにポスティング制度でメジャー入りを目指したが、落札したニューヨーク・ヤンキースとの交渉が決裂し断念。2012年オフに海外FA権を行使しオークランド・アスレチックスに入団した。
鳴り物入りでアスレチックスに入団したものの、守備の不振やケガの影響でメジャーリーグに昇格することはできず、AAA級の傘下サクラメント・リバーキャッツはおろかAA級の傘下ミッドランド・ロックハウンズでプレーすることさえある有様。あまりの活躍の無さに獲得したGM自ら「獲得は失敗であった」と発言する始末であった。
2015年シーズンからはNPBに復帰し、オリックス・バファローズでプレー。腰痛の影響で117試合の出場で打率.240、10本塁打、40打点の成績に留まり、心機一転で2016年からは登録名を「中島宏之」に変更した。
2017年は124試合へ出場し久しぶりに規定打席に到達、チームトップの打率.285の成績を残した。
2018年のシーズン終了後、年俸3億5000万円(推定)並みの活躍を残せていないという理由から、大幅減俸を提示されることになり自ら退団の意思を球団に伝えた。
程なくして読売ジャイアンツへ移籍。巨人では主に一塁手としてプレーし2020年には100試合出場で打率.297、7本塁打、29打点を記録したが、2021年に中田翔が移籍したことで出場機会が代打に変わるなどして激減。2023年シーズン終了後戦力構想外で巨人を退団し、代打要員を探していた中日ドラゴンズとの契約に合意した。
2024年シーズンは代打の切り札として起用されたが、凡退に次ぐ凡退で、遂に代打のコールの際にファンから歓声が上がらない状態で、結局在籍1年で退団している。特にスイングがOB戦を思わせるほどの鈍さで、甘い球を捉えても内野の頭を超えない事態となっていた。
現在NPBでは最も入団の古い現役選手で、20世紀のドラフトで入団した最後の現役選手である(それ以前では1998年入団、2022年引退の福留孝介)。なお一軍出場は01年オフ入団の石川雅規が中島より半年早い。中島は年長順では石川雅規、和田毅、青木宣親に次いて第4位。