※ここでは主に、日本プロ野球における登録名について取り扱います。
※他にもあれば、追記・修正をお願いします。
概要
スポーツ選手が大きな団体に登録される際に使用する名義。選手は原則本名で登録される事が多いが、成績向上のためのゲン担ぎなどで「本名ではない別名義」で登録される事もある。
以下、「前田大和→大和」「蔵本英智→英智」「武田愛斗→愛斗」…のように、全てでは無いが球団ごとに主な事例・登録名に関するエピソードを掲載する。
読売ジャイアンツ(巨人)
巨人では、ニックネームでの登録名は原則禁止であり、カツノリ(2004年)やサブロー(2011年後半)も巨人在籍時はそれぞれ「野村克則」「大村三郎」となっていた。ただし、両者とも当時同姓の選手がいなかったにもかかわらず、アナウンスはフルネームで呼ばれ、応援コールもファーストネームだった。
唯一の例外はジェレミー・ゴンザレス(2007年)であり、登録名は「GG」だった。これは、ファーストネームが同じジェレミー・パウエルと、ファミリーネームが同じルイス・ゴンザレスが既にいたためで、姓名ともに被ってしまうことから苦肉の策として許された。
なお、パウエルとGGは2007年限りで退団し、ゴンザレスは翌2008年にドーピング陽性反応によりシーズン途中で解雇。また同年にGGは落雷を受けて感電・急逝した。
エドガー・ゴンザレス(2010年・2012年)は同姓のディッキー・ゴンザレスが既にいたため登録名は「エドガー」だった。
2012年に復帰した時もディッキーがまだいたため、この時も引き続き「エドガー」が登録名だった。
2016年・2017年にプレーしたギャレット・ジョーンズは、「ジョーンズ」を登録名とする選手が多い背景から、登録名は「ギャレット」とした。
ヴィクトル・スタルヒンは戦時中、外来語を敵視する風潮が強くなったことで、終戦まで「須田博」という名前になっていた。
1999年に入来智が近鉄から移籍してきたことで、先に入団していた弟の入来祐作と兄弟同時に在籍することとなった。兄の智は「入来兄」、弟の祐作は「入来弟」だった。
翁田大勢は「翁田」姓の発音が「太田」「大田」と混同されるため、原辰徳監督の発案で登録名を「大勢」とした。
阪神タイガース
ランディ・バース(1983年~1988年)の正しい発音は「ランディ・バス」だが、当時阪神電鉄バス(現在の阪神バスの前身)が阪神電気鉄道の子会社だったことから、好調の時に「阪神バス大爆発」、不調の時に「阪神バス大ブレーキ」などと新聞に書かれることを嫌ったという理由で、登録名が「ランディ・バース」となった。
中日ドラゴンズ
1988年から1990年までの3年間、仁村薫と仁村徹が兄弟揃って在籍しており、兄の薫は「仁村兄」、弟の徹は「仁村弟」となっていた。
1996年には、山田姓の選手が4人もいた。(山田和利・山田喜久夫・山田洋・山田広二)
和利はそのままだったが、喜久夫は前年の「キク山田」から「キク」に変更、洋は「ヒロ山田」、広二は「広二山田」という登録名だった。
結局1996年限りで和利が引退、ほかの3人もそれぞれ本名に戻った。
川井進は高校時代の友人に考えてもらって2009年~2011年は登録名を「川井雄太」に変更。2012年~2016年は登録名を「雄太」にしたことで、本名の原形をとどめていない状態になってしまった。現役引退後の彼の現在の名義は「川井雄太」。
1997年に入団した「森章剛」(もりしょうごう)は入団時から2001年までは登録名を「ショーゴー」、2002年の一時期は「章剛」としていたが2006年に引退するまで通算成績はわずか3年だった。そのため助っ人以外の登録名は鬼門とも・・・。
外国人選手では李尚勲(イサンフン)が「サムソン・リー」(サムソン)で登録したほか、1990年に1年だけ在籍しながらリーグで打率4位、本塁打3位の成績を残したバンス・アーロン・ローが、姓の「ロー」は英語の「ロー(Low=低い)」を連想しゴロが悪いことからファーストネームを入れて「バンスロー」(バンス・ロー)で登録している。
広島東洋カープ
該当無し
横浜DeNAベイスターズ
後藤武敏(2012年~2018年)は2014年まで本名だったが、2015年は「後藤武敏 G.」(ごとう・たけとし・ごめす)、2016年は「後藤G武敏」(ごとう・ごめす・たけとし)、2017年は「G.後藤武敏」(ごめす・ごとう・たけとし)、2018年は点を抜いた「G 後藤武敏」(ごめす・ごとう・たけとし)と、4年連続で登録名を変更した。
Gの位置が動いたことから、なんjなどの野球掲示板では、「GはゴキブリのG」と揶揄されたことがある。
東京ヤクルトスワローズ
佐藤由規(2008年~2018年)は、名前の読みが同じ佐藤義則(野球指導者、元プロ野球選手)との混同を避ける目的で登録名は「由規」となった。その後所属球団が変わった結果、2019年は佐藤義則・佐藤由規の2人が同じ球団に在籍することになる。
オリックス・バファローズ
鈴木一朗(1992年~2000年)は1994年に「イチロー」に登録名を変更。この年に210安打を放って大ブレイクしたことから、登録名ブームの切っ掛けとなった。
佐藤和弘(パンチ佐藤)は同年に「パンチ」を登録名としたが、この年限りで現役を引退した。
岡田貴弘(2006年~)は2009年シーズンまで本名だったが、2010年に同姓の岡田彰布が監督に就任することに伴い、登録名を「T-岡田」に変更した。「T」は「Takahiro」のTと「T-Rex(ティラノサウルス)」の意味を掛けている。改名した2010年に本塁打王と交流戦MVPを獲得したことにより一気に浸透した。
鈴木康平(2018年~)投手は名前の読みが同じ内野手の鈴木昂平(2016年~2019年)が既にいたことから、上記のT-岡田にならって、登録名が「K-鈴木」となった。「K」は「Kohei」とスコアブックで三振を表す「K」を掛けていた。鈴木昂平が現役を引退してからは、2023年シーズンより登録名を本名へ戻した(のち巨人へトレード移籍)。
福岡ソフトバンクホークス
南海時代の1979年に在籍したフランク・オーテンジオは、王貞治を超えてほしいという球団の願いを込めて、「王天上」という登録名となった。
甲斐生海(2023年〜)は、甲斐拓也(かい たくや)や甲斐野央(かいの ひろし)との混同防止のため登録名を「生海」とした。
北海道日本ハムファイターズ
1986年から1989年まで同姓同名の田中幸雄が在籍していた。1982年に入団した投手の田中幸雄は「オオユキ」、1986年に入団した内野手の田中幸雄は「コユキ」と呼ばれた。新聞やスコアボードでは、投手の方は「田中幸」、内野手の方は「田中雄」となっていた。その後、2000年に田中賢介が入団してからは引退まで「田中幸」と表記された。
新庄剛志は現役時代、日本ハム在籍時に「SHINJO」を登録名としていた。一軍監督就任後は2022年の1シーズンのみ「BIG BOSS」で登録。
アンソニー・バース(2016年)の本名は「アンソニー・バス」で綴りも同じだが、上記のランディ・バースにあやかって登録名を「アンソニー・バース」とした。
オリックスから移籍した金子千尋は風水師の先生に言われて、2019年からの3年間「金子弌大」の登録名でプレー。
埼玉西武ライオンズ
西武初年度の1979年に、松沼博久と松沼雅之が兄弟揃ってドラフト外で入団。
雅之が引退する1989年まで、博久が「松沼兄」、雅之が「松沼弟」となっていた。
スティーブ・オンティベロス(1982年~1985年)は、姓が7文字もあり、当時のスコアボードに入りきらないとして登録名が「スティーブ」となった。
佐藤隆彦(2004年~2011年)は入団から一貫して「G.G.佐藤(GG佐藤)」だった。
千葉ロッテマリーンズ
1978年から1982年まで、レロン・リーとレオン・リーの兄弟が同時に在籍しており、兄のレロンは「リー」、弟のレオンは「レオン」が登録名だった。
大村三郎(1995年~2011年前半、2012年~2016年)は、入団当時同姓の大村巌がいたことと、イチローブームにあやかって登録名を「サブロー」とした。2023年に二軍監督として球団に復帰した時も「サブロー」名義。
西岡剛は2007年のみ登録名が「TSUYOSHI」だった。恐らく名前の読みが同じの新庄剛志にあやかったものだろう。
東北楽天ゴールデンイーグルス
赤見内銀次は1年目の2006年から登録名「銀次」でプレー。ドラフト指名時は本名が「宇部銀次」であったが、母親が再婚したため名字が「宇部」から「赤見内(あかみない)」に変わった。
また同年に中日からトレードで移籍した土谷鉄平が入団後から「鉄平」の名でプレー、2013年にオリックスに移籍後2016年に引退するまで使用した。
大阪近鉄バファローズ
該当無し