経歴
ポジションは内野手、右投両打。
初め、野球強豪校であるPL学園を志望校としていたが、不合格。その後、PL学園を倒すことを目標に掲げ、大阪桐蔭高校へ進学。3年生の時には主将を務め、高校通算42本のホームランを打った。
その後、2002年のドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから1位指名を受け、入団。背番号は「7」。翌2003年から一軍出場を果たし、2004年には当時の高橋慶彦コーチの提案でスイッチヒッターに転向。現在も定着している。2006年のWBCにも出場。2007年に尊敬する新庄剛志の登録名「SHINJO」にならい、登録名を「TSUYOSHI」に変更したが、すでに「西岡」の方が定着していたため、1年余りで本名に戻した。
アメリカ大リーグへの挑戦を決め、2011年にミネソタ・ツインズへ入団。しかし攻守ともに精彩を欠き2012年シーズン終了後自由契約となった。
その後阪神タイガースに入団し2013年よりNPBに復帰。タイガースでは一番打者、チームのムードメイカーとして活躍している。この年、西岡と関本賢太郎が考案したホームランを打った後にチーム全員で天に向けて両腕を伸ばす「グラティ」というパフォーマンスは話題となった。
2014年、日本シリーズで九回1点差、一死満塁という一打逆転の場面で「3-2-西岡」という変則ホームゲッツー成立させ福岡ソフトバンクホークスに日本一を献上。
2016年、試合での走塁中に転倒し、左足のアキレス腱を断裂する大ケガを負う。オフには長年着用してきた背番号「7」をFA移籍してきた糸井嘉男に譲り、自らの背番号を「5」に変更した。
2017年、前年の大ケガから復帰したが、ケガへの配慮で出場は32試合に留まった。2018年は首脳陣から「ジョーカー」に相当する扱いを受けるものの打撃が振るわず、10月に自身のインスタグラムで戦力外通告を受けたことを明かした。
2019年3月、独立リーグ「ベースボール・チャレンジリーグ(BCリーグ)」の栃木ゴールデンブレーブスへ背番号「1」を付け入団。3シーズンプレーし、2021年8月8日・神奈川フューチャードリームス戦には「投手・西岡剛」「捕手・川﨑宗則」で1イニングだけバッテリーを組んだ。
2021年シーズン終了後栃木球団を退団。独立リーグ「九州アジアリーグ」に所属し、堀江貴文らが経営に関わる福岡北九州フェニックス(現・北九州下関フェニックス)から監督のオファーがあり、選手兼任監督で同球団へ入団することになった。
エピソード
- 2009年1月2日放送の「クイズ!ヘキサゴンⅡ」に、当時埼玉西武ライオンズに所属していた涌井秀章とともにゲスト出演した際には珍回答を連発。司会の島田紳助には「毎年、オフは待っている」、「レギュラーでも出てくれへん」とその素質を見出され、同年2月11日放送にも出演。予選ペーパーテストでの成績はわずか2回の出演で木下優樹菜以外のおバカ6人組に負けるほど悪かった。
- 2009年には、当時の監督・ボビー・バレンタインの契約不更新に反対する一部のファンや応援団員が、試合や応援の最中に当時のフロント幹部への誹謗中傷を含む過激な文言の入った横断幕や看板を高く掲げる事態が発生しており、ロッテのみならず他球団のファンからの印象が悪化しただけでなく、選手たちのモチベーションにも大きく影響していた。そのため、同年9月26日での対オリックス戦でのヒーローインタビューにてお立ち台から降りた上でスタンド側にいる観客たちに向かって、「僕自身ロッテに入ってファンの応援を見て、このチームがすごい好きになりました。(中略)非常に僕ら選手も(ボビーを残留させられるだけの成績を残せず)そういう(ボビーとの契約を更新しない方針を決めたフロントへの反感や球団の不甲斐ない成績への不満が高まっている)状況にさせてしまったという責任があると思うし、今日も野球少年がいっぱい観に来てると思います。選手1人1人のプレーを観て夢を描く子供達もいてると思うし、そして、スタンドの歓声を聞いて大人になったらこういう所でプレーしようと思って頑張っている子供達もいてると思います。その子達の夢を崩さないでください。(中略)もう一度選手1人1人も考え直して、このチームをもう一回強くしたいと思うし、そのためにはやっぱりファンの皆さんの応援もすごい必要になると思うので、本当にロッテを愛してるんであれば明日から横断幕を下げてほしいんで、また応援のほうよろしくお願いします!」と呼びかけた。西岡当人としてはフロントを擁護する意図はなく(実際、西岡は試合後ターゲットにされた当時の球団社長に対し、「勘違いしないでほしいですけど、別に社長さんのために言ったわけではありません。自分が間違っていると思ったから言っただけです」と言い放ったとのことであり、社長はこのときの心情を「心憎かった」と回想している)、同時に応援団やファンへの感謝も明確にしていたものの、この呼びかけを「フロントを擁護している」と勘違いし逆恨みをしたファンや応援団員から、今度は翌日以降の試合登板時に応援を放棄された上に、西岡を誹謗中傷・揶揄する文言の入った看板や横断幕を掲げられ、野次を浴びせられる被害を受けた。西岡は、後に自身を案じるファンへのメッセージをブログに投稿し、誹謗中傷に加担せずに応援を続けたファンたちへの感謝を綴り、清水直行、大塚明、堀幸一を含むチームメイトも西岡に同調、黒木知宏などのロッテOBも騒動に加担したファンや応援団員の言動に苦言を呈する事態に発展した。結局、西岡への中傷に加担していた一部の応援団員やファン数名が事実上の出入り禁止となり、騒動の発端の一つとなった私設応援団が同シーズン終了前後に一連の責任を取り解散に追い込まれることとなった。
- 同姓同名の西岡剛投手が過去にヤクルト・オリックスに在籍していたことがある(しかも、ともに芸能人と結婚→離婚という共通点も)。大阪桐蔭の後輩である中田翔とはオフに合同自主トレをするほどの仲。