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概要

1994年ドラフト2位で千葉ロッテマリーンズに入団。

ルーキーイヤーから先発、中継ぎ、抑えとフル回転。先輩で、黒木が兄のように慕っていた小宮山悟とともに低迷期のチームを支えた。その闘志をむき出しにする投球スタイルから、やがて魂のエースと呼ばれるようになる。また、ジョニーという愛称もあった。


しかし2001年ごろからケガに悩まされ、2002年から2年間は登板なし。復帰後はかつて150km/h以上をマークしていた速球は鳴りを潜めていた。2007年オフに戦力外通告を受け、ファンに惜しまれつつ引退。

彼が現役中一貫して背負っていた背番号542010年まで欠番。現在は藤谷周平投手に受け継がれている。

その後野球解説者としての活動を経て、2012年から北海道日本ハムファイターズの投手コーチに就任した。




七夕の悲劇

彼を語るうえで欠かせないエピソードの一つに、七夕の悲劇がある。


1998年の千葉ロッテマリーンズは開幕から好調を維持していたが、6月13日に小宮山の大乱調で逆転負けを喫してから、7月7日を迎えるまで16連敗を続けていた。


7月7日、対オリックス・ブルーウェーブ戦に登板した黒木は、9回途中2アウトまでオリックス打線を1失点に抑える好投を見せる。チームは3-1とリードしていた。

9回2アウト1塁、バッターはこの日ノーヒットのハービー・プリアム。カウント2ストライク1ボールまで追い込んだ後、黒木の投じた139球目はプリアムのバットによりレフトスタンドに吸い込まれた。

この瞬間、黒木はマウンド上に崩れ立ち上がることができなかった。

試合はその後オリックスが代打広永益隆に代打満塁サヨナラホームランを打たれ、17連敗が確定。翌日の試合も敗れ、連敗記録が18まで伸びてしまった。

なお、黒木はこの年のオールスターに選出され、最多勝最高勝率防御率リーグ2位という投手三冠まで狙えたという好成績を収めている。


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