※東京ヤクルトスワローズに所属する名前の読み方が同じ現役選手については「佐藤由規」を参照。
経歴
現役時代
1954年(昭和29年)9月11日生まれ。北海道奥尻島出身。
日本大学から1976年(昭和51年)のドラフトで阪急ブレーブスから1位指名され入団。背番号は引退まで一貫して11。
当時の阪急投手陣は山田久志を筆頭に片岡光宏、今井雄太郎、山口高志などが揃った投手王国であり、佐藤は彼らの投球に圧倒されたが、1年目は7勝を挙げて新人王のタイトルを獲得。
1985年(昭和60年)にはシーズン21勝を挙げたが、次の20勝は1989年(平成元年)の斎藤雅樹(巨人)と西本聖(中日)であるため、
佐藤は、昭和最後の20勝投手となった。また、パ・リーグでは2003年に斉藤和巳(ダイエー)が20勝を達成するまで18年間現れなかった。
翌1986年には最優秀防御率のタイトルを獲得し、名実共に阪急の主力投手となった。
1987年には、それまで12年連続で(佐藤の入団前から)開幕投手を務めていた山田に代わり、11年目で初めて開幕投手となった。
山田が引退し、チームがオリックス・ブレーブスを経てオリックス・ブルーウェーブに代わってからも、星野伸之、山沖之彦、長谷川滋利らと共に先発投手陣として奮闘するが、1993年には故郷奥尻島で地震が発生。オールスターゲームでは故郷のために奮投した。
2年後の1995年には、今度は自身が所属する神戸で阪神・淡路大震災が発生。
この年は、8月に40歳11ヶ月でノーヒットノーランを達成するなど活躍し、11年ぶりのリーグ優勝に貢献。(山本昌に更新されるまでは最年長記録だった。)
翌1996年もベテランとしてチームの精神的支柱となり前年には届かなかった19年ぶりの日本一も達成。
1998年に44歳で現役を引退。同年に引退した1歳年上の落合博満(日本ハム)と共に、昭和20年代生まれで最後の現役選手だった。
引退後は阪神、日本ハム、楽天のコーチを務め、井川慶、ダルビッシュ有、田中将大を育てた名コーチともなった。