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経歴

1976年生まれ、岐阜県出身。

ポジションは外野手。右投右打。

登録名の「英智」は2004年から。婿養子に入ったため、本名は「蔵本英智」から「説田英智」に変わった。

愛称は名字・蔵本を元にした「クララ」、「クラ」、あるいは下の名前の「ひでのり」など。

岐阜県立岐阜商業高校、名城大学を経て1998年オフのドラフト会議にて中日ドラゴンズより4位指名されて入団した。

守備走塁のスペシャリストであり、落合野球の掲げる「一芸に秀でた選手」の代表格。守備固めや代走として出場することが多い一方で、打率は低いながらも意外性があり、またヒーローインタビューでお立ち台に上がった際には、その独自のキャラクターから周りを爆笑させるようなインタビューを見ることが出来るため、コアな人気がある選手であった。

また、中日優勝年である2006年にはセンターのアレックス・オチョアとライトの福留孝介らとともに鉄壁の超強肩外野陣を結成。外野のどこに飛んでも単打で二塁ランナーがホームに生還できない異常事態が起きた。

俊足を生かしたとてつもない守備範囲と鬼の様な強肩が最大の武器で、

横浜時代の漢村田のサヨナラ確実な左中間真っ二つの打球をダイビングキャッチでもぎ取ったりしている。

また引退試合ではパフォーマンスとしてホームベースから外野スタンドに遠投をしポールにあてるというもはやなんで引退したのかわからないレベルの肩を持っている。

2012年に現役を引退。中日球団に引き続き在籍し、(1軍・2軍問わず)外野守備・走塁コーチなどを歴任した。2022年シーズン終了後退団し、中京圏で野球解説者として活動をしている。

家族

因みに、英智の兄2人も高校で野球をしており、長兄の蔵本雅由は県立岐阜商業⇒名城大学を経て社会人野球の一光(2007年に解散)のエースとして活躍した。

次兄の蔵本敬充は愛知・豊川高校⇒法政大学野球部で野球を続け、その後はモデルに転身。(インディゴ所属。

背番号

  • 57 (1999年~2007年)
  • 24 (2008年~2012年)
  • 97 (2013年)
  • 89 (2014年~2022年)

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