読売新聞社社長の正力松太郎らを中心に、1934年12月に「職業野球チーム」として「大日本東京野球倶楽部」が設立。相手となるチームを求めてアメリカ合衆国へ遠征・親善試合をする際、MLB傘下AAAに所属するサンフランシスコ・シールズのレフティ・オドール監督(当時)が「大日本東京野球倶楽部の名称ではわかりにくい、チームのニックネームがあったほうが良い(要約)」という提案を元に、「ジャイアンツ」の名称がお薦めされた。
これを元に1936年に「東京巨人軍」、読売新聞の子会社化により1947年に「東京読売巨人軍」こと「読売ジャイアンツ」へ球団名を変更することになる。