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概要編集

岐阜県出身。東方高、明治大を経て2008年ドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。主な同期入団選手は野本圭伊藤準規ら。


一軍デビューはプロ2年目の2010年。この年にプロ初勝利を挙げる。翌2011年も昨年と同じ5試合に登板。ただしこの年は4敗を喫して終わった。

2012年は開幕二軍スタート。しかし川上憲伸との入れ替わりで昇格を果たすと、以降はローテーションに割って入り、自己最多20試合に登板して5勝を挙げる活躍を見せた。


その後は2012年当時の輝きを再び見せることもなく、2016年限りで引退した。

現役引退後は編成担当・二軍投手コーチを経て現在は中日球団のヤクルト担当スコアラー。


マジカルフォーク(?)編集

岩田の持ち球は最速145キロのストレート(ツーシーム)に加えスライダー、カーブ、フォーク、シュートといった多彩な変化球を投げ分けていた。なかでもフォークボールは、まるでナックルボールのように不規則に変化するボールになっている。



谷繁元信でさえも取れないほどの大きな変化をする。

YouTubeでは関連動画が100万再生を超え、ニコニコ動画ではドアラに割って入って高い再生回数を記録している。

なお、中部日本放送(CBC)の番組「サンデードラゴンズ」内で山内壮馬マジカルフォークと名付けられた模様。岩田本人は「チャラい」と思っていたそうだ。

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