経歴
1993年6月4日生まれ、千葉県松戸市出身。
ポジションは捕手。右投左打。
小学校在籍時にでソフトボールを始め、他にもサッカーや少林寺拳法も経験。中学校では軟式野球部に所属していた。柏市立柏高等学校時代は2年夏にベスト8。3年夏は5番打者として出場するも4回戦敗退で甲子園出場はならなかった。
城西国際大学に進学し、1年春からリーグ戦に出場。1年秋と2年春にベストナインを受賞。
4年は主将になるが、春は代表合宿中に練習で顔面にボールが当たり、その際に顔面の3ヶ所を骨折、左目に外傷性白内障の症状を発症。それでも2015年夏季ユニバーシアードの野球日本代表に選出され、金メダル獲得に貢献した。
2015年10月22日に行われたドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名されてプロ入り。2年目の2017年8月8日に代打で一軍初出場&初安打を記録すると、同18日にはプロ初本塁打となるサヨナラ2ランを放つなどその後も21試合に出場し、打率.350、4本塁打8打点という成績を残してブレイクの年になった。
しかし翌年以降は一軍で伸び悩み、2019年6月26日に藤岡貴裕・鍵谷陽平との2対2トレードで吉川光夫と共に北海道日本ハムファイターズに移籍。2020年は自身初の開幕マスクを務め7月23日には移籍後初本塁打を放つなど、80試合に出場し3本塁打をマークしたが打率は.178と低い数値であった。
2022年は正捕手として再び開幕マスクを任され、バッティングフォームを変えた結果自己最多の81試合に出場、打率.256、5本塁打24打点を記録した。しかし2023年は移籍組のアリエル・マルティネスと伏見寅威の両捕手に出場機会を奪われ、同年6月19日に山本拓実・郡司裕也との2対2トレードで齋藤綱記と共に中日ドラゴンズへ移籍した。
移籍時、正捕手の木下拓哉が右大菱形(だいりょうけい)骨骨折で離脱したのを受けマスクを任され、打撃も調子を取り戻す。木下が復帰後も併用で起用されている。
元妻はももいろクローバーZの高城れに。(2022年11月に結婚、2023年12月に離婚)