1967年10月23日生まれ、右投げ右打ちの内野手(一塁手・三塁手)
スポーツ専門学校のスポーツイニシエーションスクール出身。1982-1983シーズンにわずか15歳でキューバの国内リーグ"セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル"デビュー。
17歳の時に野球キューバ代表入りをした。
以後、リナレスは3番・サードとしてオレステス・キンデラン、アントニオ・パチェコ(ともに元シダックス)らと共に世界選手権4連覇、バルセロナ・アトランタ五輪連覇などキューバ代表の主軸として国際大会で活躍。都度々対戦した日本の野球関係者が「エラーしたのを見たことがない」と言うほど三拍子揃った選手として知られ、「キューバの至宝」と称された。
国内リーグでも計5度の首位打者を獲得したが、2001年ナショナルチームの世代交代に伴い代表を引退し、国内リーグも次のシーズンを最後に引退した。
2002年6月、日本プロ野球のシーズン途中より電撃的に中日ドラゴンズに入団、革命後のキューバ国籍で初めてのプロ野球選手となった。
中日在籍時には既に30代半ばで全盛期よりも太り、往年のバッティングはすでに影を潜めていた。
2004年の優勝には守備に長けている渡邉博幸と共に、ファーストとして活躍。日本シリーズでは西武ライオンズに敗れはしたものの、2本塁打を放つなど活躍し、一発勝負での強さを見せた。(なおかつヒットはすべて初球打ち。)
同年オフに構想外となり現役を引退した。
以後音信不通だったが2010年に行われた世界大学野球選手権において、キューバチームの打撃コーチとして6年ぶりに来日。
2016年7月、中日ドラゴンズの巡回コーチに就任。ベンチには入らないため背番号はないが、外国人選手、特にキューバ出身の選手の面倒を見ている。