概要
1978年生まれ、神奈川県出身。ポジションは内野手。右投左打。
神奈川の高校野球においては名門の一つに位置付けられる東海大相模出身。1996年オフのドラフト会議にて中日ドラゴンズから2位指名を受けて入団した。ルーキーイヤーの1997年に1軍初出場。
2000年代から1軍の試合に出場する機会が増え、2006年には立浪和義から三塁手の定位置を奪い主に5番、6番打者としてレギュラーに定着。リーグ優勝に貢献した。3点本塁打が多いことから「ミスター3ラン」の異名を持つようになった。その後も外野手→三塁手→一塁手とポジションを代えながら長年レギュラーとして君臨。
2017年シーズンをもって現役を引退し、そのまま二軍打撃コーチへ就任。
2019年限りでコーチを退任後、中日スポーツの野球評論家や中京テレビ・テレビ愛知・東海ラジオを中心にCBCテレビやJ SPORTSの野球解説者として活動。
2021年10月、翌シーズン中村紀洋と共に中日の一軍打撃コーチに就任することが発表された。
余談
- 当時の中日の監督、落合博満氏の趣味(?)である「背番号シャッフル」のおかげで、背番号変更が非常に多く、同一球団に所属し続けた選手としては背番号変更が最多レベルである。
- また、入団発表前まで「56」を着用する予定だったが、当時の星野仙一監督の意向もあり「7」に変更となった経緯がある。更には「31」から引退直後の立浪和義が長年着用していた「3」を着用する予定ではあったが、こちらは本人が「荷が重い」と固辞して「30」になった事もある。
- 着用した背番号:7(1997年~99年途中)→8(99年途中~2001年途中)→16(01年途中~03年)→8(04年・05年)→31(06年~09年※08年北京五輪含む)→30(10年~13年)→7(14年~17年)→75(18年~19年)→78(22年~)。また、07年の北京五輪アジア地区予選では「29」を着用した。
- 好物はドーナツである。
- 顔がドアラに似ているせいか、何かとよくネタにされる。ドアラとは仲がいいのやら、悪いのやら・・・。あるいは中の人疑惑も。