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高木守道

たかぎもりみち

岐阜県出身の元プロ野球選手、野球指導者
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概要

岐阜県岐阜市出身。
1941年7月17日生まれ。
1960年、県立岐阜商業高校から中日ドラゴンズに入団
正二塁手として活躍し1980年に引退、1986年に監督に就任するも1年で辞任。
1992年に再び監督になるも1995年に成績不振を理由に辞任、2012年、落合博満前監督が好成績にも関わらず更迭され、3度目の監督就任となったが、2013年に4位となり辞任した。

ネタ

寡黙な性格だが、実はキレるとそれはそれは恐ろしい。

  • 野球理論に関してものすごく自信を持っている。故にそれを否定されると、どんな相手であろうがかみついてしまう。そこから、あるプレーを巡って監督と大喧嘩したあげく、試合途中で合宿所にトンズラこいてしまったことがあった。しかも、誰ひとりそのトンズラに気付かなかったという。
  • 堀内恒夫から顔面にデッドボールを喰らい生死の境をさまよったことがあったが、その事を相当根に持っており、その堀内から頭に球をぶつけられて爆発、堀内に向かってヘルメットを投げつけたところ右肩に命中した上その部分を叩き壊し、「リベンジ」を果たしてしまった。
  • あまりに2塁ランナーを気にする先輩投手にあきれ、牽制球を足でマウンドに蹴り返してしまったことがあった。ただし、これは親交のある板東英二の証言であり、本人は「あれは足で止めただけ」と発言している。
  • 新聞記者の間では、「キレた時の守道さんは、仙ちゃんよりも恐ろしい」と恐れられた。さらに、本人は(かなり年を取ってからの話ではあるが)「俺は暴走老人だよ」と言ったことがある。

ルーキー時代、ファームの試合が終わり、パチンコ屋で暇をつぶしていたら、「中日スタヂジアムに来い」と言う館内放送があり、慌てて中日スタヂアムの一軍の試合に出場、しかもその試合でホームランを放ってしまった。

1974年に中日が優勝を果たしたのだが、優勝記念イベントと、長嶋茂雄の引退セレモニーを行う予定の試合がかぶってしまった。そのため球団の首脳陣は「あの試合は控えで間に合わせとこ」と言うことになり、レギュラー陣は優勝記念イベントに参加するよう指示された。だが、実は県立岐阜商業高校時代に長嶋と出会っていた高木は、「長嶋さんに対する侮辱だ」と激怒、球団に対し「あの指示は取り下げて下さい。それが出来ないのなら、俺だけでもあの試合に出して下さい!!」と土下座した。だが、球団からは「おみゃー地元のファン無視する気か?そんなだちかん事抜かすなたわけー!!」と、けんもほろろに断られてしまった。結果、そのイベントに嫌々参加、その夜長嶋に電話で「引退試合に参加出来ずにすみませんでした」とわびを入れた(ちなみに星野仙一も、長嶋に電話でわびを入れている)。

1980年シーズンを最後に引退したが、その際、「王さんが引退したら、私がプロ野球で最年長になっちゃう。そうなるとそれ相応のプレーをしなければならないけど、私にはそれが出来そうにない。だから引退します」と話していた・・・・・・・あの、張本勲(王と同期)がいますけど!?喝だ喝!!

引退セレモニーに際し、名古屋鉄道が、当時の看板車両だったパノラマカーを使って、特別列車「サヨナラもりみち号」を走らせた・・・・・・・・たかが選手の引退で、そこまでやるか!?

関連項目

高橋・和田と共にこの三人は地元では”ビッグ3”と呼ばれトークショーも行われた。

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