概要
梶原一騎原作のスポ魂漫画及びアニメ作品『巨人の星』の主人公。cv:古谷徹(幼児期:堀絢子)
元読売ジャイアンツの選手である星一徹を父に持ち、姉・星明子との三人家族。彼の生年は細かく設定されていないが、『新・巨人の星』にて1950年代の前半(現実におけるしらけ世代)頃の生まれだと示唆されている。
母は、彼がまだ幼い時分に他界している。
厳格な父の下で野球一筋で育ち、甲子園出場、入団テストを経て巨人に入団。
多くのライバルとしのぎを削りながら、一流の野球選手として成長していく。
ポジションは投手。左投げ(⇒右投げ)左打ち。
人間性
燃えるような熱血漢であり、感情の起伏が激しく喜怒哀楽の大きい感動屋。
基本的に生真面目で誠実な好青年だが、場の雰囲気を読むことが極めて苦手な一面もある。
一方、あまりに野球一辺倒な人生を過ごしてきた反動か精神面が非常に不安定で、ときにスポーツマンどころか人間としても色々と見当違いな言動を起こすことも多く、感情が暴走して周囲に迷惑をかけることも少なくない。
また一徹とのマンツーマン特訓の弊害で、『野球=チームプレイ』という基本理念が身に着いておらず、場合によってはチームメイトと不和を起こすことも多い。
人間的には色々と未熟な部分が目立つ一方、決して挫けない不屈の闘志の持ち主であり、幾度とない野球人生の危機をこれで乗りきり、左肩を壊したときもこの精神力で不死鳥のごとく復活している。
だが、これも行き過ぎる部分があり、身を粉にするような苛烈な特訓を自らに課して体を壊しかけるなど、熱くなり過ぎるあまり自分を見失うこともある。
一見するとスポーツ馬鹿のように思われがち(当人も自身を『野球人間』と自嘲している)だが、実はかなり頭は良く、高校入試ではほぼ満点で試験を通過していた。特に宮本武蔵や坂本龍馬、山中鹿之介といった歴史上の人物の逸話や言葉を人生訓としたり、会話での語彙も豊富だったりと、不器用すぎる性格さえどうにかなれば非常に魅力的な人物に育ったことは想像に難くないだろう。
左腕を壊して引退した以降は、喜怒哀楽の激しさは変わらないが、以前よりはチームプレイを優先するようになり、また父の一徹とのわだかまりが緩和されるなど、人間的にも成長を遂げている。
なお、生来は右利きなのだが、「野球は左が有利」という理論を持つ一徹によって強制的に左利きにされていたことが続編の『新・巨人の星』で明らかになっており、『新』では右投げ左打ちの選手として巨人に復帰している。
なお「飛雄馬」という名は、「ヒューマンドラマを描きたい」という作品構想にひっかけたダジャレが由来だとか(ラジオ番組「島本和彦のマンガチックにいこう! 第008回(2001/11/24) 巨人の星(前編)」より)。
経歴
幼年期
幼少期から一徹の狂気じみた地獄の特訓を受けながら育ち、父を恨みながらも野球に埋もれる生活を送っていくことになる。その代名詞が、あの大リーグボール養成ギプスである。
はじめは野球に対して後ろ向きだったものの、生涯のライバルとなる花形満との出会い、黄金期に活躍していた長嶋茂雄・王貞治の影響を受け、徐々に野球をする喜びに目覚めていくことになる。
高校時代
中学卒業後、父の方針でお坊ちゃん学校で野球部が弱小の青雲高校入学し、そこで長らく女房役となる伴宙太と出会う。
飛雄馬は当時柔道部だった伴を野球部に引き入れると共に友情を育み、主力選手として青雲高校野球部を甲子園出場に導く。甲子園では第二のライバルとなる左門豊作と出会い、準決勝で激闘を演じた末に左門を破って決勝戦まで勝ち進むが、その試合で左手を負傷してしまい、花形との決勝戦では満足な投球が出来ず、不完全燃焼のまま惜しくも準優勝となった。
その後、伴の父で学校のスポンサーである伴大造に、甲子園での花形との抱擁を咎められて野球部が解散させられる(しかも、大造の会社が花形の父の会社とライバル関係で、「敵と慣れ合うやつがいるか!」という、無茶苦茶な理由で)。この大造の暴挙に飛雄馬の友人である牧場春彦が怒り、大造を襲撃する。犯行を目撃していた飛雄馬は容疑者として疑われ、伴に絶交されてしまうも、牧場を庇って退学することになる。
プロ野球での活躍
退学後、飛雄馬は多くのプロ球団からスカウトされるが、一徹が巨人以外の球団の申し込みを断ってしまう。
一方、花形は巨人軍監督の川上哲治に決勝戦の記念であった飛雄馬の“血染めのボール”を送り、飛雄馬の巨人入団へのきっかけを作りだす。
甲子園での惜敗と襲撃事件で失意の中にあった飛雄馬も、自分を評価してくれる人間がいることに感動し、精神的に立ち直る。
その後、川上監督のアイデアでシーズン中にもかかわらず入団テストが開かれ、そこで伴と縁りを戻して二人でテストに参加。二人揃ってテストを通過して巨人軍への入団を果たし、川上監督が現役時代につけていた背番号16をもらう(実際は永久欠番)。
一年目で好成績を修め、二年目には一軍入りを果たす。
しばらくは絶妙なコントロールと持ち前の速球で活躍するも、小柄な体格からくる『球質の軽さ』という致命的弱点の発覚で追い込まれ、一軍に上がってしばらくした大洋ホエールズとの試合で左門に打たれて挫折し、失踪してしまう。
しかし、失踪中に魔球『大リーグボール1号』を編み出して復活し、再び活躍していくこととなる。
ところが、日米野球で対決したアームストロング・オズマのとの対決が彼の未熟な人間性を攻撃し、煩悩に囚われて成績が低迷してしまう。アニメ版のクリスマスでの奇行もこれが発端。
一時は自暴自棄になるも、その中で『大リーグボール2号』を編み出し、再び復活。その後も2号が破られれば、最終兵器である『大リーグボール3号』を編み出し、徐々に選手としての絶頂期を迎えていく。
だが、今度は『大リーグボール3号』の欠点から急激に精神的な落ち着きを見せ始め、それが却って悪影響として現れてしまう。この異変に、ライバルたちは飛雄馬の野球人生が終わろうとしていることを察知しはじめ、そして中日ドラゴンズでの一徹との親子対決で、完全試合を成し遂げるも左腕を壊してしまい、そのまま引退へと追い込まれた。
新・巨人の星
引退後は世間から姿を消し、現役時の蓄えでピッチングマシンを購入、バッティングの練習に励む秘密特訓をしつつ、草野球の有料助っ人をする事で生活費を稼ぐという、半ば自暴自棄な生活を送っていた。
時代が巨人軍の絶頂期であったV9時代から、次代の監督である長嶋茂雄の第一次監督時代に移り変わり、V9時代の選手の衰えによって球団史上初の最下位に喘ぐ頃、20代を迎えていた飛雄馬は数年ぶりに再会した親友の伴宙太(伴自動車工業の専務になっていた)の助けを借り、バッターとして巨人軍に復帰するため特訓を始める。
また、青雲高校野球部創設10周年の式典に参加した飛雄馬は、弱体化した野球部への好待遇に不満を持つレスリング部の丸目太と出会う。
飛雄馬は特訓の最中、自らの利き腕が右である事に気づき、次第にピッチングの練習に切り替えながらも、巨人軍へ野手として復帰する。
ピンチヒッターとして活躍し、伴が連れてきた元大リーガーのコーチ、ビッグ・ビル・サンダーから伝授されたスクリュースピンスライディング(「殺人スライディング」とも)で地位を築く。しかし阪神タイガースの新鋭三塁手・掛布雅之(当時は若手で、実在人物としては破格の扱い)が回転の力で威力を相殺するというビッグ・ビル・サンダーから伝授された封じ技をでこれを破る。
その後は右投手としての復帰準備に専念。右投手としての飛雄馬は左投手時代の自身と真逆のノーコン投手であり、自身もそのノーコンぶりに悩むほどだった。しかし王貞治の助け舟により次第に改善され、星一徹の送った大リーグボール養成ギプスの簡易版『右投手用ギプス』により克服。剛速球投手として活躍するが、左門には完璧に球筋を読まれ滅多打ちに遭った。落ち込んだ飛雄馬を長嶋監督は二軍で調整させる。
丸目は巨人軍に入団してキャッチャーとなる。
飛雄馬はF-1マシンに乗って暴走しスピンした事でヒントを掴み、サイドスローでのコントロールを磨き、一徹に自らの目論見を語る。老いた一徹も闘志を再燃させ、伴と丸目を伴って特訓を敢行。完成した右一号には長嶋監督も驚愕し、王貞治が『蜃気楼の魔球』と名付ける。
右一号は左門を相手に御披露目され、向かうところ敵なしであった。しかし丸目が行きつけの寿司屋で大リーグボール右一号完成までの流れをペラペラ語っていると、それを聞いていた花形モータースの社員がヤクルトスワローズでプロに復帰していた花形満(この頃には姉婿)に伝える。花形は雨の中F-1マシンに乗り込んでスピン。怪我を負い入院するが、右一号攻略の糸口を掴む。
チームを離れ一人秘密特訓を行う左門は蜃気楼ボールの正体が「ソニックブーム」にあると見た。飛雄馬と対決する左門。つむじ風がボールの残像を消し左門の打球はホームランとなった。
偶然を必然にすべく花形はコンピューターで蜃気楼ボールを映像として再現するが攻略までには至らない。一徹は花形に大リーグボール養成ギブスを身につけさせ、滝を落ちる木の葉を打ち抜くツバメ返し打法を特訓。
満身創痍ながら新打法を掴んだ花形は、完全試合達成目前の飛雄馬に最後の打者として挑む。ツバメ返しで打った打球は見事ホームラン。しかし花形は本塁で倒れ込み、選手生命を失う。
最終的な進路
大リーグボール右1号敗北後の飛雄馬の進路は媒体によって異なる。原作の世界線に属する続編『巨人のサムライ炎』に於いては、史実で江川卓が入団する1979年、自身の加齢もあってか、投手としての限界を悟った飛雄馬は同作主人公水木炎に世代交代のバトンを渡し、長嶋茂雄の要請に答えて現役引退、巨人軍二軍コーチとしての第二の人生を歩む事になり、物語から退場した。
アニメ版『新・巨人の星Ⅱ』に至る世界線に於いては、日本シリーズで全ての大リーグボールを使い、巨人軍を優勝に導いたのと同じ頃に、これまでの苦労が祟り、一徹が心不全で死去。同時に姉の明子が子供を出産する報を聞く。翌1979年付で巨人軍を退団。メジャーリーグに挑戦する『野球留学』のために渡米した。その後はアメリカで一定期間の活動をした後に引退、コーチとしての勉強をした後は各地で野球コーチとしての活動を行いつつ、引退から12年後の1990年代初頭時点では、アメリカに在住している事が語られている。
彼とバッテリーを組んだ実在捕手
飛雄馬は伴宙太とのバッテリーが有名だが、当然ながら、実在した選手ともバッテリーを組んだことがある。作中では、巨人軍の数世代の捕手との組み合わせが見られた。
森昌彦
実在の捕手の一人で、「V9」期の巨人軍正捕手。実は飛雄馬の第一次現役時代において最もよく組んだ捕手である。一号~三号を捕球しているため、大リーグボールを最もよく捕球した捕球でもあり、作中では飛雄馬に作戦を授けるなどの活躍はあれど、厳しく接する場面が多く見られるが、事実上は左投手時代におけるパートナーに近い関係であった。『新』では一度だけ解説として登場。飛雄馬の代打要員としての復帰を寂しがっていた。
吉田孝司
実在の捕手の一人。V9期から現役であった捕手で、一軍・二軍で飛雄馬とバッテリーを組んだ関係にある実在選手。飛雄馬の第二次現役時代(右投手時代)には森の後継者として正捕手の地位にあり、飛雄馬の復帰後には多くの試合でバッテリーを組んだ。山倉和博の入団後は彼に取って代わられ、物語から退場した。
山倉和博(原作のみ)
実在の捕手の一人。森、吉田の次の世代にあたる捕手で、1977年度の巨人軍ドラフト一位指名選手。飛雄馬が大リーグボール右一号を開発した1978年当時に新進気鋭の捕手で、史実では彼の更に次の世代にあたる村田真一が台頭するまでの時期を支えた名捕手。作中では新人時代の彼が長嶋茂雄に素質を見出され、先輩にあたる飛雄馬とバッテリーを組む事になる。作中では、連載末期に登場。それまでの正捕手であった吉田に取って代わる形で飛雄馬とバッテリーを組むことになる。現状、飛雄馬は1979年に巨人軍の第一線を去る事になる(現実では江川卓と入れ違いになるが、その江川も選手としての実働期間は色々な原因で10年未満で終わる結果になる)ため、結果として、飛雄馬が生んだ最後の大リーグボールとなった『蜃気楼の魔球』を敗北まで捕球したという名誉に預かる事になった他、実在捕手の中では唯一の飛雄馬より若い捕手である。(山倉は1955年生まれで、飛雄馬の第一次現役時代の最終年であった1973年に高校に入学した世代である)彼を指標にする形でだが、飛雄馬はそれより前の年代に生を受けたことが示唆されている。
彼はアニメ版『新・巨人の星』、『新・巨人の星Ⅱ』ではアニオリキャラに役目を奪われるが、原作においては星飛雄馬のプロ生活の末期にバッテリーを組んだ新進気鋭の後輩として、将来の正捕手としての活躍を暗示するかのような存在感を示していた。
余談
- 『右利きの左投げ』投手は実在人物は鈴木啓示、江夏豊、今中慎二、石井一久がいる。逆に『左利きの右投げ』は投手で石井弘寿と岩隈久志、野手で坂本勇人等。
- 原作者は飛雄馬という名を英語の「human」からつけた。
- 星飛雄馬にあやかって息子に「飛雄馬」と名付けた人もいた。
- 実在する巨人の『星』選手は2005年~2011まで在籍した星孝典捕手がいる。2011年に埼玉西武ライオンズに移籍するが、この時西武にも星秀和が在籍(2005年~2013まで西武に在籍した捕手・内野手・外野手)していた。現在は星孝典は西武のコーチを経て現・東北楽天ゴールデンイーグルス二軍バッテリーコーチ。星秀和はBCリーグ、群馬ダイヤモンドペガサスのコーチ兼選手を経て会社員である。